アトリエジャーナルVol.4─「傷」が生み出す香り、アガーウッド

アトリエショップに収められたアガーウッド(沈香)の木塊と、樹脂が蓄積した黒褐色の部分

店内にそっと佇む希少品をご紹介する「アトリエジャーナル」。
第四回目となる今回は、一般的にあまり目にする機会のない「アガーウッド」をご紹介したいと思います。

初めて目にした「アガーウッド」

お香や香水など、香りが好きな方はご存知かと思いますが、「アガーウッド」という名前は一般にはあまり知られていないのではないでしょうか。

私は「サンダルウッド」や「シダーウッド」と同じように、木の名前だと思っていました。
それが香道では「沈香」、香水では「ウード」の名で知られている同じものだと知った時は、なかなかに驚いたことを思い出します。

近年のウード香水人気の高まりもあり、香りとしては以前よりずいぶん身近な存在となりましたが、その原材料となる木塊を見たのはアトリエショップで目にしたのが初めてです。

アンティーク棚に収められた、茶色くどっしりとした木の塊。
これは何の木だろう? とガラス越しに眺めると、「Agarwood」と書かれたシールが貼られていました。

──これが「沈香」なんだ。

鼻を近づけると、アンバー調の甘さがほんのりと伝わってきます。

香炉で焚く小さな木片しか見たことがなかった私ですが、大元であるその木塊は、ごく普通の木に見えました。

サンダルウッドは、その白さと滑らかな肌からどことなく神聖な佇まいを感じましたが、こちらからは特にそういった印象を受けることもなく、シールが貼られていなければそれが何なのか想像もつかなかったでしょう。

ただ、よく見るとこの木塊には「アガーウッド」であることを物語る、ある特徴が見られます。

上の写真を見ると木の一部が黒褐色になっているのがわかりますが、これは理由もなく変色したわけではありません。
この黒褐色の部分には樹脂性の成分が蓄積されていて、これこそが「アガーウッド」の香りを生み出す源になっているのです。

日本の香道で受け継がれてきた、沈香の香りを鑑賞する体系「六国五味」を紹介する写真。

香りを持たない木が、香木になるまで

木が黒褐色になっただけで「アガーウッド」になるのではなく、樹脂性の成分を蓄え、特有の芳香を持つようになった木質部分、それが「アガーウッド」です。

そして、その始まりとなるのは、木についた「傷」です。

風雨や落雷などの自然現象、虫食いなどによって傷を負った樹木は、ダメージから身を守るために樹脂性の成分を作り、少しずつ蓄えていきます。

ただし、傷ついたすべての樹木が「アガーウッド」になるわけではありません。
主にジンチョウゲ科のAquilaria(アクイラリア)属やGyrinops(ギリノプス)属など、限られた樹木に見られる現象です。

それだけでも狭き門ですが、さらに樹種や樹齢、気温や湿度、土壌、微生物など様々な条件が重なり、長い時間をかけて樹脂が蓄積することによって、ようやく「アガーウッド」になるのです。

樹脂をたっぷり含んだ香木は重く、水に沈むことから「沈香」の名がついたといわれています。
加熱すれば香木としてその香りを聞くことができ、細かく砕いて蒸留すれば、精油(ウードオイル)を得ることができる。

世界各地で希少なものとして珍重されてきた沈香ですが、日本ではその香りを、伽羅・羅国・真那賀・真南蛮・佐曽羅・寸門多羅の「六国」に分類し、「六国五味」という独自の体系で鑑賞してきました。

中でも「伽羅」は、最高級の沈香として位置づけられています。

傷の後に生まれるもの

人の手に渡れば、希少な香木として大切に扱われ、驚くほど高い価値を持つ「アガーウッド」。

しかし、当然ですがそれは、人間のために作られたものではありません。
傷を負った木が自らを守るための防御反応、その副産物に他ならないのです。

もともと銘木だったものが、傷つくことによってさらに価値を増すのではなく、軽く柔らかであまり特徴のない白い木が、傷をきっかけにして世界で最も珍重される香木の一つになっていく。

これは、ある種の救いのようにも思えました。

物の価値というのは人間が決めるものですが、人為的にではなく「偶然」や「副産物」から生まれることも多いのかもしれません。

傷ついた木が、別の価値を持つ。

これは、人にも言えることではないか。

そしてそれは、過去にこの香りジャーナルで触れた「侘び寂び」の世界観(https://parfum-satori.com/apps/note/wabi-sabi-simple-beauty/)や、「時」を宿すサンダルウッド(https://parfum-satori.com/apps/note/atelier-journal-sandalwood/)にもつながる一本の線のように感じられ、自分の中で何かがストンと着地したような気がしました。

私たちは、逆境に立たされたからこそ限界を超えることができたり、失恋したからこそ新たな出会いがあったり、今あるものへのアンチテーゼから環境を変えようとしたり、色んな場面で逆境をきっかけとして、思いがけない成長や変化を経験しているのではないかと思います。

そして程度の差はあれど、人は傷を受けながら生きています。

ダメージを負うたびに自力で修復し、時には人の手を借り、どうにか次の一歩を踏み出す─。

順風満帆、無傷で一生を過ごせるならそれはとても幸せなことですが、傷ついたからこそ、自分の身を守るための知恵や工夫が身についたり、これまでとは違う新たな価値を見出せたりするのではないでしょうか。

傷が人を必ず強くするとは限りませんが、その経験を通し、痛みを知る者として成長していけることは確実にある。

生まれ変わり、新たなフェイズへ向かうきっかけになることも。

街路樹や公園にそびえる立派な木々を見ていると、順調にすくすく育ったように見えますが、多くの植物は常に自然の猛威にさらされながら生きています。

厳しい環境を生き抜くために、時には自らの組織や成長の仕方を変えながら環境に順応しているのです。

結果として現れたものだけを見ていると、そこに至るまでの経緯は見落としがちですが、人、植物、モノを問わず、「今」を形作っているものには全て「過程」があり、過ごしてきた「時間」があり、その「経験」はやがて「歴史」になっていくのだと私は思っています。

ポジティブなものは、それだけでも美しく価値があります。
しかし、ネガティブな出来事から生まれたポジティブなものには、それまでにはなかった新たな価値が宿ることがある──。

「アガーウッド」の傷を思うと、そんな風に考えずにはいられませんでした。

アガーウッドとも呼ばれる沈香。木肌や色の濃淡を通して、香木になるまでに重ねてきた時間に目を向けます。

普段はあまり日の目を見ることのない「アガーウッド」の木塊。

一見何の変哲もなく、心に留まることもないまま見過ごしてしまいそうな木ですが、その背景を知ると、希少でかけがえのない存在であることがわかりました。

この「アガーウッド」を見るたびに、傷から生まれる新たな価値についても私は想いを巡らせるのだと思います。


ニックネーム:K.S
パルファンサトリフレグランススクール1級卒業。アトリエショップやPOP UPで時々接客させていただいてます。


参考文献:
ICHIKO ICHIE(https://ichikoichie.jp/)
habitus(https://habitus.tokyo/)
frontiers(https://www.frontiersin.org/)
Science Direct.(https://www.sciencedirect.com/)


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