余薫|六本木の アトリエ に流れる静かな香りの時間 

アトリエ に飾られた花と香料瓶が並ぶ、静かな香りの空間

六本木の交差点から少し歩いた先に、その建物はある。会社ビルや駅の騒音を背にして、その建物の階段を二階へと上がる。扉を開けると、外の喧騒とは対照的な、静かな空間が広がっている。そこに私が働く アトリエ がある。

六本木の喧騒を離れて

室内に入ると、まずは靴を脱いで室内履きに履き替える。一般に香水と言えば、路面店や百貨店の華やかな売場で手にするものである。それゆえ、こうして靴を脱ぎ、その場所の懐に深く迎え入れられるという経験は、単なる買い物とは異なる、ほどよい緊張と、その先に待つ未知への期待を同時に抱かせる。

足の裏に伝わる床の感触を確かめながら一歩進むと、都会の雑踏で浮き足立っていた感覚が消え、この場所の静かなリズムに体が馴染んでいくのがわかる。

六本木 アトリエ の入口

棚に並ぶ硝子瓶と、この場所の時間

壁面を埋め尽くすのは、作り付けの木製棚と、そこに並ぶ数百もの硝子瓶だ。瓶に満たされた液体は、窓から差し込む日光を捉え、それぞれが固有の色を帯びて反射している。

棚の様子を眺めれば、使い込まれたがゆえの染みや傷が随所に見受けられる。その乱雑さすらも、この場所で積み重ねられてきた歳月の証であり、無言のうちにこのアトリエの歴史を語りかけてくる。窓から差し込む日光がこれらの瓶を透過し、床に細かな影を落とす様子を眺めていると、時間が止まっているかのような錯覚に陥る。

硝子瓶が並ぶ香水棚

この場所に漂う、 アトリエ の空気

香りを扱う場所であるため、室内には常に微かな匂いが漂っている。それは、木材の匂いや樹脂の匂い、あるいは複数の香料が混ざり合った、このアトリエ特有の複雑な空気である。

小さな花瓶に差された四季折々の草花が放つ瑞々しい香りや、奥深い森を連想させる樹脂の重厚な香り、あるいは長い歳月の間に数多の香料が空中で溶け合って、この空間の隅々にまで染み付いた気配。それらが重なり合って、この場所ならではの空気をつくっている。

その香りは、決して自己を主張するような鋭いものではない。むしろ、窓から差し込む光の筋や、壁に並ぶ硝子瓶の静かな佇まいとが渾然一体となり、一つの背景としてそこに存在している。ある時は、ふとした瞬間に遠い記憶を呼び起こすような懐かしさを伴い、またある時は、これから始まる新しい思索を促すような、凛とした冷たさを帯びている。

この重層的な香りの層に身を浸していると、外の世界の騒々しさは次第に遠のき、自分の呼吸までもが、この場所の静かなリズムに整えられていくのを感じるのである。

小さな気配が、この場所を豊かにする

物事には色々なものの見方があって、そのことを「ファセット」と表現する人に会った。今は一緒に働く仲間になったその人は、お花がとても好きなのだという。アトリエの窓外、花台に設えられた小さな花畑には、時折小鳥が集まってくる。その人は、アトリエに咲いている小さなお花を、さらに小さな花瓶に差しては、慈しむように眺めている。

こうした何気ない日常の断片が、この場所に多層的な奥行きを与えている。一つの香りが、嗅ぐ人や時間によって異なる表情を見せるように、その人が見出すファセットもまた、この空間を豊かなものにしている。

香料棚に置かれた小さな花瓶

ここにいると、自分の輪郭が整っていく

僕は今、就職活動という、少しばかり厄介な日々を過ごしている。一歩外に出れば、そこは常に結果を求められ、自分の価値を言葉で証明し続けなければならない場所だ。自分という商品を売り込むことに疲れ果てている僕にとって、このアトリエは特別な意味を持っている。

ここでの僕の仕事は、香りの背景を説明したり、訪れる人の世界観に耳を傾けたりすることだ。ただ相手の話を聞き、こちらの言葉を置く。そんな風に世界を共有すること自体が、僕の役割なのだ。小鳥が来るのを眺め、仲間と穏やかな会話を交わす。そうした時間の積み重ねの中で、乱れていた僕の思考は少しずつ整理されていく。

訪れる人の世界に寄り添い、共にそのひと時を愉しむのは、決して悪くないものだ。僕がこの場所を気に入っているのは、ここが「何者かにならなければならない場所」ではないからだ。僕はただ、そこに置かれた棚や椅子がそうであるように、この場所の風景をかたちづくる自然な一部として、そこに馴染んでいればいい。

訪れる人の世界観にそっと耳を傾け、適切な言葉を置いていくことで、この場所の純度を損なわないようにする。この空間の静かなリズムを乱さないように、僕という存在を適切に機能させているのだ。

扉を閉めて再び六本木の街へ戻るとき、僕の身体には、外の喧騒に流されないための確かな静けさが蓄えられている。ここに足を運んでくれる人々にも、その空気を少しばかりお裾分けできればいいなと、僕は日々願っている。


発信:PARFUM SATORI
ニックネーム:島鉄雄
プロフィール:大学院の二年生です。アトリエで接客のお仕事をさせていただいております。


▪香りに出会うための場所──香りJOURNAL INSIGHT
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