こちらの記事は、「やまとことばで感じる香り―「かをり」と「にほひ」の語感」の続きです。
前編では、やまとことばまで遡って、「香り」と「匂い」それぞれが伝える言葉のニュアンスについて理解を深めました。そして、その違いが見えてきたために、かの紫式部が、源氏物語で「薫」と「匂宮」を、対比するように登場させた理由がわかる気がした、というところまでを書いています。
よろしければ、そちらもご覧ください。
コンテンツ
- 美意識の連続性
- 「紫の上」と「紫」と「むらさき」
- 「紫の上」の香り
- 「光源氏と」「光」と「ひかり」
- 終わりに(香りとともに言葉も味わいたい)
美意識の連続性
平安期の紫式部に示された美意識の後も、中世では、幽玄といった、表には出ない深い美を、近世茶道では、侘び・寂びといった、内面的で精神的な簡素美を尊び、現代でも、日本人は派手さよりも「余韻」や「静けさ」に美を見出していると思います。
この感覚は香水文化にも現れていると感じます。
「沈香に倣う―香水における緩やかな香り立ちの設計思考」で大沢さとりが言及している通り、パルファンサトリの香り立ちは、香木のような緩やかな香り立ちを目指して作られており、結果としてもたらされる香りのイメージは、拡散する派手さよりも、使い手の心に美しい余韻を残すものになっています。
最近よく耳にする「ジャパニーズ・フレグランス」。それらのブランドの中でも、パルファンサトリはパイオニア的存在で、欧米香水の強い拡散とは異なり、日本的な美意識を体現していると言えるでしょう。
どれほど美しいアコードの香水を纏ったとしても、その香りがただ素敵に独り歩きしたのでは、日本人が考える「美」には当てはまらない。その香水が寄り添うことで、纏う人を心地よくさせ、その人の魅力が自ずと香る、そんな美学が、平安期から現代まで続いていると思います。
「紫の上」と「紫」と「むらさき」
そして、この話の流れでご紹介したいのが、パルファンサトリの「紫の上」ですが、まずは、その言葉について、色彩学的にも、語感的にも、少し掘り下げたいと思います。
紫式部の時代、既に「紫色」は「高貴」なイメージを持つ歴史的背景(聖徳太子の冠位十二階、紫根染めの貴重さなど)がありました。
ですが、源氏物語のヒロイン「紫の上」の名には、他にも込められたニュアンスがあるように思います。
色彩学的に「紫」がもたらすイメージ
色彩心理やデザインの分野では紫は「赤」と「青」の中間色で、「二面性を持つ色」とされるのが特徴です。
- 赤の要素 → 情熱、生命力、官能
- 青の要素 → 静けさ、理性、冷静さ(青が強い場合は哀愁的に響く)
- このバランスから紫は 神秘・崇高さ・インスピレーション・精神性 を象徴
「むらさき」という語感がもたらすイメージ
語感としては、優雅さの中に凛とした緊張感を感じさせます。
- む:唇を閉じて、鼻に抜ける響き → 包み込む柔らかさ、母性的
- ら:舌先をはじく → 軽やかさ、華やかさ
- さ:息が前に抜ける → 明瞭さ、清らかさ
- き:鋭く口を締めて終わる → シャープさ、知性
→音の流れとしては、「む」で包み、「らさ」でひらき、「き」で締める」 → 柔らかく広がりながら、最後に鋭さが加わる響き。
やはり、単に染料の希少性や歴史的背景だけでなく、色そのものの二重性(強さと静けさ)と、そのバランス感覚や言葉の響きが生む優美さを念頭に、この名前は選択されたのでしょう。
「紫の上」の香り
トップのジューシーな和葡萄から、淡い「紫」が目の前に広がります。
続くのは、さらりとしたテクスチャーの絹が幾重にも重なるような優美なフローラルアコード
さらりとしながらも豊かに香るフェミニンなフローラルと、知的で洗練された雰囲気を漂わせる源氏香ベースのハーモニーが、「紫」色や「むらさき」の響きがもたらすバランス感覚を体現しています。
敢えて、今回見てきたような角度で考えて調香されたわけではないはずですが、言葉のニュアンスや音の響きとも呼応しているとわかるのは、嬉しいものですね。
「光源氏」と「光」と「ひかり」
「紫の上」について掘り下げたのであれば、対比として「光源氏」についても考えたくなります。
色彩学的に「光」がもたらすイメージ
「光」は色そのものではなく、色を生み出す前提条件。よって「光」のイメージはとても広いです。
- 白色光:プリズムで分解するとすべての色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)を含む。
- 輝き・まぶしさ:心理的に「希望」「生命力」「神聖さ」を連想させます。
- 色彩学的効果:光が強いと彩度や明度が高まり、対象を美しく見せる。
「ひかり」という語感がもたらすイメージ
語感としては、鮮烈さ・強さ・きらめきを同時に感じさせます。
- ひ:息を前に鋭く吐き出す → 光の直進性、シャープさ、清らかさ
- か:硬音、喉や舌の緊張 → 強さ、明快さ
- り:舌先が軽やかに弾かれる → きらめき、軽快さ、余韻
→ 音の流れとしては、「ひ」でスッと差し込み → 「か」で力強く確立 → 「り」できらめきながら余韻を残す。
「ただの美男子にはあらず“人を照らす存在”」、まさに主人公オーラそのものが浮かび上がります。源氏物語に多く登場する女性たちに対する「光(全ての色を生み出す源)」という構図に、今も語り継がれる魅力のエッセンスがあるような気がします。
終わりに(香りとともに言葉も味わいたい)
やまとことばから続く「かをり」と「にほひ」。その響きがもたらす感覚は、今の私たちにも受け継がれています。
それは、我々が、言葉の音韻が生まれた土地で、その響きから素直に派生したことばをそのまま使っているので、音韻の発音体感と意識と所作、情景が一致している、ということが幸いしているようなのです。
そのため、日本では語感から自然に生まれたことばが多く残り、語感だけでつくられたことば、(擬音語、擬態語)が非常にたくさんあり、日々多用されています。「おいおい泣く」「しくしく痛む」「もぐもぐ食べる」と言われれば、その発音体感が共通のイメージを与えてくれるというわけです。
多くの言葉から我々の脳に描かれる意識や、もたらされる所作、想像される情景が、昔も今もさほど変わらないというならば、歴史ある古い言語を持つ日本人に生まれることができてよかったと、私は思います。
というのも、実はこのような言語は世界的に見て希少だからです。
黒川伊保子さんの著書「日本語はなぜ美しいのか」では、こう語られています。
『そもそも、発音体感がことばの本質であることを歴史上初めて言及したのはソクラテスです。
ただし、言葉は、口腔周辺の筋肉の使い方が違う民族を経由したとき、その民族にとって発音しにくい音は消えて、別の音に転じてしまいます。
たとえば、英語をはじめとして、欧米各国語は、チベット高原辺りの遥か昔に生まれた言語に端を発し、その言語が持つ音韻が、後にラテン語やゲルマン語などを経てゆきました。つまり、現代の欧米各国語は、音韻の起源と直接的な体感の結びつきを失った言語なのです。
結果として、意味は記号であり、慣習的に使われているうちに、言葉が生み出された時の意識や情景とは乖離してゆきました。
そうして、言語の歴史上、「腑に落ちない音韻」が一定数存在する言語となり、音韻と意識と所作、情景の数学的な関係性モデルをつくることができなくなり、欧米人の研究者はソクラテスの発見を知りつつも、言葉の構造上その真実にたどり着けなかったのです。』
そんな話を聞くと、にわかに、日本語がとても有難いものだと感じられ、大事に子供達にも伝えてゆきたいと思えてきますね。
子供達は母親(あるいは主たる保育者)から、言葉を、意味よりも前に発音体感として受けとります。
赤ちゃんは、目の前の人間の口腔周辺の動きを自らのそれのように感じ取る能力があり、そのため、話し手が無意識に感じている情感に共鳴して一緒に味わっているそうです。このようにして、三歳までに子供たちは、ことばの音と、人の所作や情感と、情景とを結びつけて、脳に言葉と意識の関係を造り上げていくのだそうです。
そんなある種プリミティブな方法で、日本人に脈々と伝わってきたことばの音。そのようにして伝わってきた言葉の音は、文化にも影響を与えているのではないでしょうか。
西洋文化と日本文化の違いの大きさは、単に地理的に大陸の東の果てだからだけでなく、我々が、土地や風土と密着した言語を使い続けていることにも理由があるのかもしれません。
こちらの香りジャーナルを読まれている方は香り好きの方が多いと思います。
香りは雰囲気で味わうものですが、誰かに伝えるときは言葉を使います。その際、言葉の成り立ちや音の響きも一緒に味わえると、香りを伝える楽しみがいっそう豊かになるのではないでしょうか。
よろしければ以下のブログ記事もご覧ください。
パルファンサトリの 「 紫の上 」 リニューアル
ニックネーム:T.T
プロフィール:香水ソムリエ。パルファンサトリ フレグランススクールにてインストラクターをさせていただいていました。現在はアトリエで接客を担当しております。
