見つからなかった 香水瓶 |パリ11区で探した器(うつわ)の記憶

雨に濡れたパリの夜の交差点を傘をさして渡る人々

2002年、香水瓶 を探していた

私は、 香水瓶 を探していました。
2002年のことです。

当時の日本では、香水瓶そのものの需要がまだ小さく、洗練された瓶を探そうと思ったら、フランスに行くしかありませんでした。今振り返っても、その状況は大きくは変わっていないように思います。

日本で多く使われていたガラス瓶の需要は、ほとんどが食品と薬品のためのものでした。

食品衛生法に適合した瓶が大部分で、香水瓶用のガラス原料が使われることはまずありません。香水瓶にも食品用の瓶が流用されることが多く、そのため、ガラスの美しさや透明度がフランス製に比べて十分でなかったり、デザインそのものがあか抜けなかったりしました。

つまり、フランスに比べて需要がないから作れない、というのが現実だったのです。

けれども、国内の瓶メーカーでさえ、直接オーダーするには特注の金型代がかかり、大きなロットが必要です。世界に十分なマーケットがあるならまだしも、当時の私にとっては、とても受け止めきれる数ではありません。

香りを作ることと、それを納める器を見つけることは、本当は切り離せません。
けれども現実には、そのあいだに大きな壁がありました。

そこで私は考えました。
フランス製の既製品のガラスボトルでも、ラベルを工夫し、キャップを変えれば、いろいろなバリエーションができるはずだと。

棚一面にさまざまな形や大きさの 香水瓶 が並ぶ風景。記事中では、フランスで既製の香水瓶や小ロットで扱える器を探していた文脈に添えるための写真。

ところが、Saint-Gobain、Pochet、Coverpla といったフランスメーカーは、日本のさらに10倍ほどのロットを求めてきます。
それなら、フランスにも日本でいう「問屋」のような存在があるのではないか。メーカーに直接頼むのではなく、もっと小さな単位で香水瓶を扱う場所があるのではないか。そう思って、私はあらゆる方面に聞いて回りました。

けれども、香料に携わる人であっても、その職分から少し外れると、香水瓶については驚くほど関心がありません。知らないのか、興味がないのか、その存在は一向にはっきりしませんでした。

有名な香水の世界には、完成された瓶があたりまえのように存在しています。
けれども、自分の規模で、自分の感覚に合う器を探そうとすると、その入口は驚くほど狭いものでした。

パリ11区の通り名プレート Rue Jean-Pierre Timbaud

手がかりは、11区にあるということだけだった

ただひとつ残った手がかりは、「11区にあるらしい」ということだけでした。

パリ11区は、いわゆる華やかな街ではありません。むしろ、少し用心したほうがよいとされる地域でした。おのぼりさんと見られないように、わざと不機嫌な顔をして、足早に歩きます。

観光地のように整えられた空気とは少し違い、生活の気配のある街です。冬はとくに人影が少なく、私はわずかな情報だけを頼りに、それらしい店か会社を探して、通りを端から歩いていきました。

同じ場所を行ったり来たりして、あとで道順が分からなくならないように、角かどで通りの名前の看板をカメラに収めました。

Rueは小さな通り、Avenueは大きな道。
その場では、帰ってから地図と照らし合わせるための、ただの目印にすぎませんでした。

目的はあくまで瓶を探すことです。
通りの名前を記録することが大事だったわけではありません。
でも、何かを探して街を歩くとき、人は思いがけないものを拾ってしまうのだと思います。
体験と体感で理解する。

パリ11区 Rue Léon Frot の通り名プレートと街角

看板を撮りながら歩いた冬

帰国してから、撮影した画像を一枚ずつ見返しました。
どの通りを歩いたのかを確かめるために、看板の写真を地図と照らし合わせようとしたのです。

すると、その看板が、どれも同じようでいて、ひとつひとつ表情が違うことに気づきました。

プレートで作られたもの。
建物の壁に直接描かれたもの。
壁の色とのコントラスト。
一緒に写りこんだ冬の街並み。

同じ通り名の看板でありながら、その周囲の空気まで含めて、それぞれ別の顔をしていました。

私は瓶を探していたはずなのに、いつのまにか、街の断片を集めていたのです。

いま思えば、それは香水瓶そのものではありませんでした。
けれども、器を探して歩いた記録としては、確かにそこに残っていました。

見つからなかったから、残ったもの

探していた香水瓶の問屋は、結局見つかりませんでした。

がっかりと肩を落として、メトロに乗ってホテルに帰る冬の夜。
見つからなかった、という結果だけ見れば、それは無駄足だったのかもしれません。

けれども、カメラの中にはひとつのアルバムが残っていました。
通り名の看板ばかりを集めた、小さな記録です。

探しものは見つからなかった。
でも、歩いた痕跡だけは残った。

香りを作ることは、香料だけの問題ではありません。
それを何に納めるのか、どう手渡すのか、どのような姿で世に出すのか。そうしたことまで含めて、少しずつ形になっていくものだと思います。

あの冬の私は、まだその入口に立っていただけでした。

そしてそのときはまだ、
日本で作るという選択肢を、私は持っていなかったのです。


発信:PARFUM SATORI
創業者・調香師 大沢さとり


■そのときに撮った通り名の記録を、短いスライドショーにまとめたものです。
TITLE:パリ11区 11e arr
 URL:YouTube https://youtu.be/1gWSBOk17VM?si=pPxDf3eLe2W0zUj2


 

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