和三盆 の香りができるまで
アドキサールと卵白のニュアンス
和三盆 の香りのいちばん最初の出発点は、メレンゲの香りでした。
手がかりになったのは、アドキサール(Adoxal)という香料です。
アドキサールは、2,6,10-トリメチルウンデク-9-エナールというアルデヒド系の香料で、私には、生卵、なかでも卵白のような、生っぽさを含んだニュアンスを感じさせます。単体ではややぬるっとした、アルデハイディックで、オゾンにも感じられる側面があり、そのままではネガティブに受け取られかねないところもあります。

メレンゲの香り
メレンゲの香りを香料で組み立てるとしたら──。
このアドキサールの生ぐささを、グルマンノートによく使われるマルトール(Maltol)の甘さでマスキング。さらに上質なイリス(Iris)のパウダリーな香りを重ね、空気を含んだメレンゲのベースを作る、という組み合わせが浮かびました。
イリスの奥行きある柔らかさが、アドキサールの尖った部分を受け止め、微細なきらめきと軽さを感じられるように整えていきます。
そこへ、ごく少量のピラジン(Pyrazine)でメレンゲの表面がうっすら色づいたような、控えめな香ばしさを添えました。

レモンパイは初恋の味?
「レモンの爽やかさを合わせれば、立ちもよくなり甘さがすっきりする」「ごく少量のピラジンでメレンゲの表面を軽く焦がして」そう考えて、「レモンパイは初恋の味」などと言いながら、遊び気分で作りました。昭和レトロな連想ですよね。
ところが、作っているうちに気持ちが変わります。
「日本人の私が作るのだから、洋菓子ではなく、日本の和菓子の香りにしたほうがよいのではないか。」
メレンゲベースを生かした、いくつかの和菓子を思い浮かべました。口に含むとすっと溶け、上品な甘さが舌に広がるお菓子……。あれこれ考えているうちに、やはりお干菓子(ひがし)なかでも落雁(らくがん)の香りにしよう、と落ち着きました。
メレンゲからレモンパイへ、そして 和三盆 へ
レモンパイを和三盆に変えていくためには、いくつかの香料が助けになってくれました。
そのひとつがミモザ・アブソリュート(Mimosa Absolute)、もうひとつがグアイアックウッド(Guaiac Wood)です。このふたつを重ねることで、落雁を口にふくんだときの、ほろりと崩れながら舌の水分をすっと吸い取っていくような、あの独特の「乾いた甘さ」の感じが、香りの中にも少しずつ見えてきました。
砂糖そのもののきめ細かさと、落雁のほろりとした崩れ方――その両方を表現しようとしたのです。
名前を考えているとき、スタッフの一人から「和三盆そのものを香水名としてはどうか」と提案がありました。声に出したときの響きも可愛らしく、「ワサンボン」という発音がフランス語で「Wa sent bon(和の良い香り)」という意味にも聞こえる、という意見も出て、最終的に「WASANBON」と名づけました。

グルマンの流行とマルトール
2000年以降、グルマン系の香水が流行し、チョコレートやキャンディーなど、お菓子のような甘い香りが市場を席巻しました。ここで重要な役割を果たしたのが、マルトール(Maltol)や、その誘導体であるエチルマルトール(Ethyl Maltol)といった「マルトール系」の香料です。
マルトールは、綿菓子や温めた砂糖、カラメルを思わせる、非常に強い甘さを持つ香料で、焼き菓子やパンのような香ばしさの一部を担う成分としても知られています。
一方、エチルマルトールは、マルトールとよく似た綿菓子・キャラメル様の香りを持ちながら、よりいっそう強く、イチゴジャムやキャンディのようなフルーティなニュアンスを伴う香料です。フレーバー分野の報告では、マルトールよりも数倍強い甘味・香気強度を持つとされています。

その後の流行、フルーティ・グルマンタイプでは、これらの香料はフルーツの一部として、まずはごく少量で用いられていました。しかしどんどんとエスカレートしていき、近年では綿菓子やキャンディの甘さをはっきりと押し出した香りも増えました。
1990年代初頭には、ティエリー・ミュグレーの「エンジェル(Angel,1992)」が、こうしたマルトール系の甘さを前面に出した香水として広く知られ、「グルマンタイプの源流」のひとつと位置づけられています。
具体的な配合率は市販香水ごとに公開されていませんが、教育用の処方例や原料メーカーの推奨量を見ると、マルトール系をかなりはっきり感じるレベルまで効かせたグルマンが珍しくなくなってきたことがうかがえます。
お菓子の香水である 「ワサンボン-WASANBON-」 にも、他の香水と比べてマルトール系の香りをしっかりと使っています。
ただし、目指したのはカラフルなキャンディや子ども向けのお菓子の甘さではなく、和三盆糖と落雁に代表される、和菓子の静かで上品な甘さです。
マルトール系の甘さを、最高級の和三盆糖にするために、質の良いイリスと重ね合わせることで、「日本人の調香師が大人のグルマンを作ったらこうなる」という香りを描き出そうとしました。
イリスがつくる 和三盆 の「大人の甘さ」
この香りの中で、特に鍵になっているのがイリスです。イリスの奥行きのあるパウダリーさが甘さを受け止め、香り全体を少し乾いた質感に整えています。
香料の組み合わせとして、イリスやスミレのようなパウダリーな香りは、他の尖った香りや油っぽい香り、べたつくような甘さを吸収してくれるような働きがあると感じています。
もちろん、入れすぎれば拡散性を損なってしまいますが、適量であれば、ネガティブな要素をただ隠すのではなく、むしろ魅力的に見せてくれます。アドキサールのアルデヒドらしい鋭さも、甘さとイリスに抱かれることで、メレンゲの微細なきらめきの一部として息づくようになりました。

和菓子と洋菓子、その甘さの違い
和三盆は、日本を代表する砂糖であり、それを使った干菓子や落雁は、和菓子の象徴的な存在です。
洋菓子は、バターやミルクといった、コクのある動物性の脂肪分を使ったものが多いです。また、子ども向けのとても甘いお菓子、たとえばカラフルなジェリービーンズやキャラメルなどもあります。
それに対して、日本の和菓子はほとんどが植物性の素材を中心に作られています。小豆、米粉、小麦粉、芋などを原料としているものが多いのです。
この違いが、和菓子がとても甘くても、洋菓子とはまったく異なる食べ物として感じられる理由だと思います。

香水史の中の「 和三盆 」
いわゆる現代香水としての歴史は100年を超え、グルマンの流行からもすでに20年以上が経ちました。作られてきた香水のタイプ分類は、新しい香料や香調が登場するたびに少しずつ更新されています。グルマン系もオリエンタル系も、時代背景や流行によって従来の枠には収まりきらなくなり、今また呼び名が変わろうとしているところです。
とはいえ、香水の流行はファッションに比べればずっとゆっくりとしたものです。だからこそ、香水を学ぶには、もともとの古い名称や骨格、歴史を通して「今」を捉えることが、正しい知識と厚みのある理解につながると考えています。
ワサンボンは、香水史の中でどのように位置づけられるのでしょうか?ジャパニーズスイーツ、あるいはドライグルマン?
私が生きているうちに、過去の香水体系がいったんリセットされるような瞬間を、どこかの時点で眺めてみたいものです。
和三盆の中のイリス
イリスは昔から高価な香料でしたが、近年ふたたび天然イリスへの注目が高まり、その資源はますます貴重になっています。
そうした状況のなかで、「ワサンボン-WASANBON-」も大量生産、大量消費の商品ではなく、本当に好きな方の手に届けたいという思いから、EXとして発売することにしました。
EXは濃いからこそ、肌に点でつけてゆっくりと楽しめます。
オリジナルであるオードパルファン「ワサンボン-WASANBON-」は、2013年に発売されました。こうして、いま、”高濃度でありながらひそやかに香る”PARFUM EX「ワサンボン-WASANBON-」として生まれ変わりました。
発信:PARFUM SATORI(パルファンサトリ)/ 創業者・調香師 大沢さとり
備考
マルトール系香料
マルトールとエチルマルトールは別の特徴を持つ香料素材です。私には、マルトールは香り全体にふくらみやボリューム感を与える土台のような役割を持ち、エチルマルトールはトップから立ち上がりやすく、「甘さが来た」とすぐに感じさせる素材のように思われます。ここでは、両者を区別しつつも、便宜的に「マルトール系」と総称して語りました。
ミモザとグアイアックウッド
ミモザ・アブソリュートとグアイアックウッドは、どちらも私には少し「豆」のような、もそっとした粉っぽいニュアンスを感じさせる香りに思われます。
この、わずかに乾いた粉の印象が、和三盆糖や落雁が口の中の水分を吸い取っていくようなボディの厚みを、香りの中で支える役割を担っています。
和三盆 と落雁の違いについて
和三盆糖は、もともとは砂糖そのものの名称です。
また「和三盆と呼ばれる干菓子、落雁」は、その和三盆糖を主な素材として練り固めて作る干菓子です。
- 和三盆:きめの細かい砂糖。口どけのよさと上品な甘さが特徴。
- 落雁:和三盆や砂糖、米粉などを用いて木型で抜き固めた干菓子。形や意匠に季節感が込められる。
本文では、砂糖・お菓子としての名称には漢字表記「和三盆」を、 香水名としてはカタカナとローマ字表記「WASANBON」を用いています。
参考・関連リンク
和三盆(砂糖・落雁)について
- 徳島県公式サイト:和三盆
- 三谷製糖羽根さぬき本舗:和三盆の歴史・製法
「ワサンボン-WASANBON-」の香り:
ワサンボン-WASANBON- 商品ページへ
「WASANBON」とあわせてお楽しみいただきたい香り:
ヒョウゲ-HYOUGE- 商品ページへ

