富山の風と樽の記憶 ミズナラを追って

著作家小川洋子氏の「凍りついた香り」にこんな一節がある。

「香りはいつだって、過去の中だけにあるものなんだ。」

香りを表現しようとする際に呼び起こされる、触感、味覚、記憶。
そのどれも、過去という不確かな時空の上に存在し、腕を伸ばして手に取ろうとも、果たしてそれは確かなのか誰にも分からない。曖昧、不確実、朧げ。

過去の中にある何かを微かな手がかりをもとに繋ぎ合わせる様なその営み。

そんな経験をしたことはないだろうか。

今回はパルファンサトリの香水「ミズナラ」との小旅行をお話ししたい。
この記事が皆様の記憶を喚起し、新たな自己の着彩への契機となれば幸いだ。


ボトルを手に取る。
角張った矩形のその内側には外界からの庇護を受けているかの如く、緩やかな湾曲に色めいた琥珀の液体が溜まっている。
一抹の引け目と共に黄金のスプレーでやさしく吸い上げ、適当な紙片へと香りを移した。


少し開いた窓、その隙間から入りこみ、過敏に反応する嗅覚。
闇夜を流れる一コマ一コマにその空気感や湿度、微かな草木の存在までも感じ取ろうとする。
無意識を、意識的に統制することの難しさ。日々の情報量は限りなく0が良い。

不快にさいなまれながらも、一夜を明かす。
夜になずもうとも、やがて朝明けは訪れる。
車窓から見える山々は朝の光を受け、輪郭を際立たせていた。

見知らぬ駅に立つ。
地元を発ったのはつい昨夜。
就職活動に追われ、自分に、生活に、生きることに嫌気がさした。詮ずるに、現実からの逃避行と言ったところか。考える間も無く、深夜バスの残り1席、その僅かな空間を指先の微動で確保していた。
そこへ赴こうと思ったのも、ほんの気まぐれ。最も安価で、最も遠くまで、そんな不純な理由ゆえ。

県下のおよそを覆う一日乗車券を、早朝の気だるさの中、不明確に購入した。どこへ行き、どこへ向かうのか、虚な思考で悩んでいた矢先、飛び込んできた「油田」と言う駅名。本邦の実情とはかけ離れた名に惹かれ、遠路はるばる向かうことにした。

さすれば当然、現地で訪れる場所も調べ始める。私は基本的に心配性なのだ。どこへ向かうのか、事前に大筋をたてておかねば、唐突の偶発にも上手く反応できない、ましてや受け取れない。と言うわけで、数式をなぞるかの如く、必然の流れで三郎丸蒸溜所へ至るわけである。

鈍行に揺られる。
摩耗した車輪が起こす必要以上の振動に、これまで抱えてきた思考や想念その全てが解かれる。縦揺れと横揺れ、細かな律動。
自然と双手で面を覆い、残された四覚へと神経を研ぎ澄ませた。
手首には微かに昨夜つけたミズナラの残香。さながらトースティングされた樽のように、目の詰まった焦茶の木目が肌から優しく香り立っている。

駅に降り立つ。蒸留所までは数十秒。その実体、その香りは、歩を進める度に顕になる。

白壁に縁取られた建物は、周囲との差異を明らかにしつつも、不思議と土地の纏う空気と溶け込むような調和を保っていた。

重厚な鉄扉を開くと微かな麦芽の香り。それは館の空気に溶け込み、存在を主張することなくそこにあった。室内の温度、湿度は厳格に管理され、年間を通して変わらない環境が保たれているという。外界の移ろいとは別の時間が、この空間には流れているようであった。

そして認める、建屋に充満する香気。
それは間違いなく、手肌から漂う香り。ミズナラそのものだった。

バルサミックな樽香(たるこう)。モルトのまろやかかつハーバルな印象を感じさせながらもラブダナムの焦げた甘さと、ドライスモーキーな印象が重なる香調。皮下から、そして空気から、身体を八方から覆うように。

しかし必ずしも統一感を保っている訳ではない。それぞれの樽、その性格の違いから放たれる種々の香りが層をなして存在していた。バーボン樽を中心にシェリー樽、赤ワイン樽、ミズナラ樽、スパニッシュオーク樽。個々の違いは全く持って分からない、知る由もない。けれど入り乱れる重層にその実存を確かに感じた。

…貯蔵庫、発酵槽、蒸留器。各ブースを巡る。
視覚から、聴覚から、嗅覚から、言葉に開けぬ刺激を得る。
ウィスキーに関して門外漢である私が、薄い知識を拡げることは避けるが、そのどれもに新しさを覚え、同時にどこか心地よさを覚えたことを鮮明に記憶している。まるで自分の心体一対がその環境にかつてから在った様に。

その心地よさの所在。それは間違いなく手元の香りに依るもの。
幾度となく味わってきた香水「ミズナラ」の三重奏。
深い森の奥、木々と水脈との出逢い。その香りに惹かれ、幾度となく味わい尽くしてくたからこそ、自分という存在を蒸留所に求めたのだろう。
施設を出た後、テイスティングルームに案内された。ここでは、様々なウイスキーの試飲が可能だという。
迷わず問いかける。「ミズナラ樽で熟成させた原酒を。」

注がれた琥珀色の液体。グラスをそっと傾けると、時に逆らうかの如く、垂れ筋が緩やかな速度を保ち液面へと落ちてゆく。ふとグラス越しに見上げる。窓から覗く山並みは衰残した日光に温かく照らされ、急峻な峰々を一層顕にしていた。山々に遮られ、ほの甘やかな色味を宿した斜光は自ずと手元に届き、その味わいへの期待感を増幅させた。

そっと香りを求める。深い森の中、雨上がりの地表を覆う苔と枯れ葉の相反する香気。微かな水気とそよぐ涼風。環境が物質と交じり合い、一つの関係性を結んでいた。

唇に触れた瞬間、舌で広がるさざなみ。控えめな甘さ。熟した柿の蜜のような、しかし押し付けがましくない優しさ。そこに一条の風が吹く。切れ味のあるジュニパーのアクセント。波は次第に様相を強め、アンバーやバルサム、粘度を伴った芳醇さと焦げ臭さ、香ばしさが響き、重なり合う。

余韻に溶け込むのは、漠とした樽香。どこか冷ややかで、どこか人肌を感じる、時を乗せた風味。

二口目。深い森の奥にある小さな社、朽ちかけた扉に手をかけたときの感触が蘇る。過去への憧憬と現在への拘泥。

舌へ乗せるたびに変化していく味わい、それは記憶が刻まれた年輪のように層をなして広がっていった。

帰り道、夕暮れの光に包まれた国道を歩きながら、私は小瓶を取り出し、手首へ向けた。
ウィスキーの香りと混じり合い、自ずからこの旅の新しい記憶を作り始めていた。


「ミズナラ」を香ると記憶が鮮明に、足早に脳内を巡る。基本的に10倍速、しかし、あくまで己の想像の中。どこでポーズをしようが、巻き戻そうが自分次第だ。

以前より感じていた、「ミズナラ」が持つストーリー性。凛と張り詰めた一貫性を持ちながら、自分という入れ物の中で、空気感や熱量が確かに変化していく。そこに惹かれていた。

もちろん、ミズナラ樽を使用したウィスキーを味わったという直接的な要因はある。しかし、香りの力はその一つの出来事に付随する情景まで瑞々しく起こしてくれるのだ。
朧げな記憶も香りが引き出すことによって、その度に磨かれ、形を変えていく。

過去は過去のまま、永遠に在ることはできない。元あった形で永劫留まることもない。表出するたびに、新たに情報は足され、解釈も変化する。不都合や苛立ちが生じるかもしれない。
けれど、だからこそ、その不完全さを愛したい。そう思っている。

改めて、パルファンサトリの「ミズナラ」と言う香りは、ミズナラという樹木が育んできたその土地の記憶を余すところなく表現している香りだと感じる。そして各人の記憶を緩やかに呼び起こしてくれる香りだとも。

高原の湖畔に広がるミズナラ(水楢)の林。
明るい緑を映す水面に光が反射する。
風が渡り、さざ波は立つ、そのきらめきが再び葉に照りかえす。
深い湖底から湧き上がるのは、硬く強い意思。

まさにそんな情景を香りの経過とともに追体験する。そして自らの記憶と紐付き、深く編み込まれる。
肌の上で読む、その物語。
次は、あなたも。


ニックネーム:Ryan
プロフィール:アトリエやポップアップにて接客をしておりました。現在は言葉の仕事をしております。


ミズナラ