This is の正体— パルファンサトリ の香りの語彙をめぐって —

パルファンサトリのアトリエに置かれた香料オルガン

「This is exactly what I imagined.」──海外のお客様の一言から見えてくるアトリエに息づく香りへの想い。

パルファンサトリ のアトリエと香水サロンの記憶

今回は、私自身が長年にわたって肌で感じてきた香水ブランド「 パルファンサトリ 」の特別な魅力についてお話ししたいと思います。

2001年に初めてこのブランドと出会って以来、香りを通じて感じてきたことを、ひとりの愛好家として綴ります。

ここでお伝えするのは、あくまで私個人の視点によるものですが、ブランドが歩んできた軌跡をより身近に感じていただけたら嬉しく思います。

「まさにこれを想像していたんだ/望んでいたんだ」の「これ」とは?

パルファンサトリ のアトリエショップを訪れるお客様の多くは、まずその佇まいに驚かれます。
路面に面した華やかな店舗ではなく、とあるマンションの一室。そこは、アトリエとショップがひとつになった、小さな空間です。

部屋に足を踏み入れると、そこには、大きな香料オルガンが置かれ、香水瓶が整然と並んでいます。棚には、長年集められてきた香水の歴史を語るようなヴィンテージボトルの数々。

華やかさよりも、仕事や学びの場のような、落ち着いた雰囲気が漂っています。

海外から訪れたお客様が「This is what I imagined.」「This is exactly what I want.」とつぶやかれるのを、私は何度も耳にしてきました。その 「This is」は、きっと、この空間のありようだけを指しているのではないでしょう。

パルファンサトリ のアトリエ、香水サロン、そして教室

時は遡り、2001年の終わりごろ。
私が初めてさとり先生のアトリエを訪ねたとき、アンティーク家具に囲まれたその部屋にも、大きな香料オルガンが置かれていました。
フレグランスデザインという聞きなれない分野の調度品や道具に目を奪われ、私はその世界にあっという間に惹き込まれていったように思います。

当時、アトリエは代々木にあり、そこは先生の制作の場であり、香水のサロンでもありました。

さらにフレグランス教室としても開かれていて、私を含め少人数の社会人が週に一度、夕方に集まり、グループでレッスンを受けていました。

世界的に見ても先駆的だった パルファンサトリ の挑戦

2000年代の初め、日本ではまだ「ニッチ香水」という言葉は一般的ではありませんでした。
さとり先生は「日本人に合った自分だけの香水」という考えのもと、オーダーメイドの香水を中心に展開されていたように思います。

当時はブログが始まったばかりで、SNSはまだ登場前。口コミやイベントでの出会いを通じて、ビジネスも広がっていく時代でした。
他業種とのコラボレーションもあり、箱根ガラスの森美術館での限定記念香水の制作が、私としては特に印象に残っています。


箱根ガラスの森美術館「エカテリーナ」について(Parfum Satori公式ブログ)

Екатерина II   2002年 エカテリーナ 箱根ガラスの森  (Parfum Satori公式ブログ)

香水といえば、海外旅行をしたときに買って帰ったり、輸入品をデパートで買うようなものだった頃に、目の前で日本人の調香師が香りをつくっている光景は、とても新鮮でした。

スクールのみんなで先生と一緒に箱根まで足を運び、その限定記念香水を美術館で鑑賞したことをよく覚えています。

帰りには、自分にも手が届く価格で販売されていた、先生が調香された花の香りの香水をお土産に買って帰ってきたのも覚えています。当時、アロマセラピーはすでに身近な存在でしたが、「香水」はまだ少し遠い世界のものでした。

その頃、さとり先生のコレクションとしては、2000年に「紫の上」をつくられてから、2002年に「夜の梅」、2004年に「桜」と、着実に作品を発表されていきました。

伝統文化を香りで表現した挑戦

その後、2006年に「さとり」が発表されました。

この香りは、さとり先生が「日本人に合った香りを作りたい」と思い至った原点のような香りだと後に知りました。

同時に、香りにふさわしい器として、有田焼の香水瓶、桐箱、ウコン染めの布、組紐、真田紐など、日本の伝統工芸を用いた茶壷型香水が生まれました。

日本の文化や精神を香りに託し、海外へ伝えたいという思いが、具体的な形になった瞬間だったのだと思います。

この茶壷型香水は、メディアや新聞でも取り上げられ話題となりました。

香水が一つ十万円という価格は当時としては破格でしたが、それ以上に、香水がまだあまり注目されていない日本で、「日本の伝統文化やその感性を香りで表現する」という試みは、とても独創的で、挑戦的に映りました。

そもそも、当時、日本の香水市場は小さく、海外の名だたる化粧品ハイブランドが香水をプロモートしても成長しない、いわゆる「香水砂漠」と言われていた時代です。

創作活動と並行して運営されたフレグランススクールは、ですので、さとり先生自身が感じている「香りを作る楽しさ」を共有したいという思いと同時に、香りを作り楽しむ人が育つ土壌をつくりたい、という願いもあったのだと思います。

自分で土を耕しながら、この土地に合った香水の種を蒔き、花を咲かせる努力を続けてこられたわけですから、まさに気の長い話です

先に海外から評価された パルファンサトリ の香り

2007年には「Mother Road 66」など、2008年には「織部」(現在の「ひょうげ」)が発表されました。
2009年からは、「パルファン サトリ の香り紀行 調香師大沢さとりが写真でつづる photo essay」というブログも始まりました。

口コミを通じて、ジャパニーズフレグランスを求める海外の香水愛好家が、代々木のアトリエショップを訪ねて来られるようになりました。

そう、気づけば、先に注目を集めたのは海外でした。

パルファンサトリ を訪れ、香りを気に入ってくださった方々の紹介から、2016年には海外のニッチショップへの輸出がスタートします。

2018年には、世界的に知られる香水ガイドで、5つの香水が四つ星の評価を受けました。「ハナヒラク」は新しいアコードランキングで世界のトップ10に選ばれ、スイス・チューリッヒ芸術大学にて講演、2019年には茶壷型香水がグラースの「国際香水博物館」に収蔵されました。

日本で生まれた香りが、世界で評価されるようになっていったのです。

その後も、ANA や グランドハイアットホテル内ショップでの販売、ザ・ペニンシュラ東京やホテル・ザ・ミツイ・京都のバスアメニティ担当、2021年以降現在まで、Frau(フラウ)「日本ラグジュアリー名鑑 JAXURY 100」に選出など、国内外に向けた発信が続きます。


そして 2023年には、長年にわたって日本文化の海外発信に多大な貢献をした功績により、さとり先生が文化庁長官表彰を受けられました。
静かに続けてきた挑戦が、ようやく一つの形として結実したように感じます。

国内での静かな浸透と受容

日本国内に目を向けると、2009年には通信販売雑誌との販売契約が始まり、パルファンサトリは本格的に「ジャパニーズフレグランスブランド」として動き出します。

香りのコレクションも次々と発表されましたが、マーケティング手法に頼ることなく、創作活動はさとり先生の思い描くままに進められました。
結果として、唯一無二の「さとりワールド」が形づくられていったのだと思います。

この頃から、国内でも少しずつ「香り」に関心を持つ企業が増え始めます。2013年頃からはヘアケアやボディケア製品の香りを手がける機会も増え、2015年にはアロマディフューザー関連での香りビジネスがスタートしました。

まだ香水が日常的な文化として広がる前の時代に、香りを通じて人々の生活に寄り添う取り組みが静かに進んでいたのです。

ニッチ香水ブームの兆しと現実

2017年、アトリエショップが六本木へ移転しました。
この頃には、調香師という職業自体が少しずつ知られるようになり、香りの創作に関心を持つ人も増えてきました。

2018年には、アトリエショップで「オープン アトリエ 〜香りはまぜてつくられる〜」というイベントが開催されました。
当日は若い層のお客様も多く訪れ、香水がどのように作られるのかを実際に見て体験する機会となりました。香りへの関心が確実に広がり始めていることを感じた瞬間でした。

そこで、海外ではすでにニッチ香水ブームが本格化しておりましたので、日本でもいよいよその波が訪れるのではないかと期待したのですが、 残念ながら、そこまで大きなムーブメントには至りませんでした。日本ではまだ、香水が日常の中に根づいているとは言いがたく、
「香り」はファッションの一部という認識が強かったのだと思います。
香水をまとうことが、日々の生活のリチュアル(儀式)やルーチンとして自然に受け入れられるまでには、 もう少し時間が必要だったのかもしれません。

香水をまとう目的の変化

2020年からのコロナ禍は、人々の香りとの関わり方を大きく変えました。

ステイホームの時間が増え、自宅で過ごす中で、香りがもたらす癒しや安らぎの効果を改めて感じる人が増えていったのです。
ルームフレグランスやお香を取り入れる人が増え、マスク生活の中では「自分だけでも香りを楽しみたい」という声も多く聞かれるようになりました。

この変化は、香水を「他者に向けてまとうもの」から、「自分のために纏うもの」へと価値観を移していったように思います。

香りを自分の感情や時間と結びつけて楽しむ人が増えたことは、日本の香水文化にとって大きな転機になったと思います。

データにもその傾向が表れています。
2021年から2023年にかけて、日本国内の「香水・オーデコロン市場」の販売金額は大きく拡大しました。ニッチ香水専門店「NOSE SHOP」では、2022年・2023年の売上が前年比30〜40%増という報道もありました。

長年、パルファンサトリ がその香りを通じて提案してきた「他者へのアピールではなく、自分が心地よいと感じる香り」という香りの楽しみ方・スタイルが、 ようやく社会の空気と重なり始めたのです。

香りを語るという文化の芽生え – レビュー文化

香りには癒しの効果があることは、すでにアロマセラピーブームの時代から知られていました。
けれども、それが香水文化へと直接つながることはありませんでした。

今回の香水ブームの背景には、「自分のために香りを纏う」という意識の変化に加えて、
香りを「味わい、表現する」という新しい楽しみ方が広がったこともあるように思うのです。

ワインのソムリエが言葉巧みにワインの香りと味について表現し、料理に合うワインをお客様に提供する―そんな姿を見て、自分でもワインについて学び、テイスティングノートをつける楽しみを得た方もいらっしゃるでしょう。

香りの世界でも、それに似た「語る楽しみ」が芽生えたように感じています。

実際、私が香りに惹かれたのも、まさにこの部分でした。
フレグランスデザインを学びながらも、将来的に自分で調香を楽しむ姿はあまり思い描けませんでした。香料の調達や必要な設備などを考えると、それらのハードルは高く、私の調香はおままごとに近かったのだと思います。

けれども一方で、香りを鑑賞し、その印象や気づきを言葉で表現して誰かと共有することには、大きな喜びを感じました。
それは、香水だけでなく、庭の草花の香りにも共通する体験でした。

ですので、フレグランススクールを卒業後の2013年より、パルファンサトリの香水ソムリエ講座の運営に携わり、香りを言葉にして伝えることの楽しさを多くの方と分かち合う機会を得られたことは、私にとって本当に幸せなことでした。

香りは目に見えませんが、感じたことを言葉にすることで、その印象はより鮮明になります。

SNSの発展によって、香りのレビューを読んだり書いたりする機会が生まれ、私たちは、この香りを言葉にして語り、共有する楽しみを得たのかもしれません。

これは、これまでの香水との関わりを大きく変えるものであり、日本の香り文化をより豊かにしてくれるように思います。

This is の正体

さて、最初に触れた 「This is exactly what I want / imagined.」 という海外のお客様の言葉。
その 「This is」 は、いったい何を指しているのでしょうか。

アトリエショップには、香料オルガンがあり、スクールも併設されていた(現在は閉校)関係で、香料関係の書籍、香料原料や原体が整然と並んでいます。

一方で、玄関こそブランドのロゴがありますが、壁にはブランドのビジュアルイメージや商品パネルが一枚もかかっていません。

そこは、試作品が創られている、まさにアトリエなのです。

フランスからいらしたお客様が「これらの香りは、まるでまったく違う語彙でつくられたもののようだ」と話されたことがあります。

パルファンサトリの香りには、そうした他にない「語彙」が存在しているのだと思います。

それは、職人の手仕事のように、ひとつひとつの香りに息づく、作り手の記憶と美意識のようなもの。

そしてその根には、2000年から続く長い時間の積み重ねてきたオリジナルな価値観があるのだと思います。

香りを通じてそれがまっすぐに伝わったとき・・・

お客様は思わず 「This is exactly what I imagined.」と口にするのかもしれません。


ニックネーム:T.T
プロフィール:香水ソムリエ。パルファンサトリ フレグランススクールにてインストラクターをさせていただいていました。現在はアトリエで接客を担当しております。

※1枚目の写真 パルファンサトリより提供

サトリ