私たちが何気なく楽しんでいる香水。その始まりは、はるか昔の宗教儀式にまでさかのぼります。神々との対話、心の浄化、祈りの力を高めるため、世界中で香りが重用されてきました。今回は、文明や宗教と香りの関係性について概略していきます。
古代エジプト
古代エジプトはまさに香り文化の開拓者でした。ナイル川のほとりで暮らした彼らは「キフィ」(Kyphi / Kypi / Kapet)と呼ばれる特別な香りを独自に作り出しており、蜂蜜、ワイン、レーズン、ジュニパーベリー、ミルラ、フランキンセンスなどをブレンドしたこの香りは、太陽神ラーを代表とする神々への祈りに欠かせませんでした。それすなわち、彼らは「香り」を神々と繋がるための媒体と捉え、煙が天へと昇る様子を人間の祈りや供物が神々に届く様子と重ねていたのです。
加えて当時、香りには清めの効果があるとされ、神殿の内部や神像に近づく際には、祭司たちは香を焚いて身を清めました。
つまり香りとは「不浄」を取り除き、神の領域に入るためのツールであり、そもそも香を焚く行為自体が、神聖な儀式として重要視されていました。
事実、エジプト美術の壁画には、ファラオが神々に香りを捧げる姿が描かれています。彼らにとって香りは、神々とのコミュニケーション手段であった、とも言えそうですね。
※カラムス
この根茎は、古来より神聖視されてきた植物素材。この成分は、力強い木質感と甘みを持ち、スパイシーな特徴と土の香りに加えてカンファーの要素も併せ持ちます。その特異な芳香特性から、古代エジプトの儀式用香「キフィ」の調合において、全ての伝承レシピに不可欠な構成要素として組み込まれていました。
メソポタミア (多神教)
古代メソポタミアでは、杉や松の樹脂を燃やし、その煙が神々に届くと信じられていました。
バビロニアでは新年に七日間にわたってアキツ祭(新年祭)が行われ、バビロニアの祭司たちは、神々の起源と世界の起源とに関する長い天地創造物語を朗唱しました。その際、神殿では大量の乳香が焚かれていたことが古代の粘土板や祭儀用語集に記録されています。
当時の人々は、良い香りは神々を喜ばせ、悪い匂いは悪霊(不浄の象徴)を追い払うと考えており、呪術文書にも記載があります。
「香り=神聖な媒体」という通念はこの時代にも共通しているようですね。
ユダヤ教
ユダヤ教の聖典には、フランキンセンス、ミルラ、オニカなどの樹脂のブレンド「ケトレット」が儀式において使用され、これを神聖な目的以外に用いることは固く禁じられていました。
また土曜の夕暮れ、安息日の終わりを告げる時刻に、「三つの星が夜空に現れる」瞬間から執り行われる儀式である「ハブダラー」(現在も行われています)。その名称は、「分離する」を意味するヘブライ語「ル・ハヴ・ディール」に由来しており、この儀礼は、神聖なる安息日の時間と、それに続く世俗的な日常生活との境界を明確に「区分する」ための伝統的な祝祭として扱われていました。その際、主の恵みの甘さ、かぐわしさを親しむためにクローブやシナモンなどのスパイスの壺を嗅ぎ、これによって聖なる時間と日常を区別するのです。
(近年では省略される傾向にあります)
キリスト教
クリスマスの物語で東方の三博士がイエスに贈ったことで知られる「乳香」。乳香(フランキンセンス)は、ボスウェリア属(カンラン科)の樹木から収穫される固形樹脂です。
乳白色から黄色、時に橙色を呈する粒状のフランキンセンス樹脂は、スモーキーでスパイシーなバルサム調の香りを基調とする深遠かつ神秘的な芳香を放つ希少な天然香料です。
フランキンセンス(乳香)は没薬(ミルラ)と並び、紀元前から香煙を生み出す儀式用薫香として活用されてきました。事実、現在でもカトリックや東方正教会の教会に入ると、この独特な香りに包まれることがあります。小さな香炉で乳香を燃やし、その煙が祈りとともに天に昇ると信じられているのです。
(私も実際に東方正教会にてフランキンセンスで祈りを捧げた経験があります)

イスラム教
イスラム教の聖典であるクルアーンではムスクの香りが頻出し、それらは主として楽園にまつわる民や建造物を表現する際に用いられています。
また、中東の説話集「アラビアン・ナイト」ではローズウォーター、クローブ、サフラン、ウード、アンバーグリス、ムスクなどの香料が盗賊の財の絢爛さを表すために用いられています。
現代においても、聖地であるカーバ神殿内では、黒石には竜涎香が埋め込まれ、カーバ内部の清掃後、乳香などの香料が炊かれ、薔薇水やアロエ水などもふんだんに撒かれている様です。
近年のウードをベースにした西洋の香水の増加も、イスラム文化の影響を感じざるを得ません。
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教における香りは、主に日常から隔絶した儀式空間を演出する上で極めて重要な役割を担っています。日々のプージャー(礼拝)から、特定の祝日や期間に連続して執り行われる特別な儀礼まで、それぞれに定められた供物は古来より人々の生活において欠かすことができない存在とされています。(神話に基づく逸話を参考に、各神格が好むとされる植物や香料が選定)
あらゆる儀礼に共通して必要とされるのは、カンファー、ローズウォーターといった、いずれも香りと密接に関連する供物。このような香り高い捧げものは、神と人間を結ぶ重要な媒介として古来より認識されてきました。
極めて概念的なものではありますが、「香り」とは同一空間に集う人々と神々との繋がりや一体感を醸成する役割を担い、神々からの承認と援助への渇望、神々の否認と災厄への畏怖を呼び起こす対象であったのです。
仏教
我が国最古の正史『日本書紀』には、595年、淡路島の海岸に漂着した一本の流木を島民が焼いたところ、比類なき芳香が周囲に広がり、驚愕した島民がこの流木を推古天皇に献上したとされ、この貴重な流木を「沈香(じんこう)」と識別したのは、聖徳太子であったとの記述も残っています。
この史実から、推古朝の時代には既に仏教文化と共に、その重要な要素であるお香の文化が日本社会に浸透していたことが読み取れます。聖徳太子が即座に流木を沈香と判別できたという事実は、『日本書紀』に記された以前から、朝廷ではすでに仏教儀式における香の使用が一般的であったことを示唆しています。
また、この香文化は当初、上流階級の嗜みや仏事においてのみ用いられていましたが、徐々に庶民の間にも伝播し、鎌倉時代の仏教の定着と時を同じくして、広範に市民権を得ていたと考えられています。
香道
茶道や華道と並ぶ日本の伝統芸能である「香道」。その起源はおよそ500年前の東山文化の時代にあるとされています。
平安貴族の雅な香り文化を源流とし、日本の四季感覚と文学的感性を融合させた香道は、世界に類を見ない芸術体系と成りました。一定の作法に従って香木をたき、その香りを文学的テーマのもとで鑑賞する芸道は、文字通り人々の感覚を呼び起こすものであったと言えます。
香道で用いられる貴重な香木は、その芳香の特性によって「六国」と呼ばれる体系に分類されます。熟練の香道師範によって厳密に選別された各香木は、下記のように古の産地を想起させる雅称で呼ばれています。(現代の実際の産出地域とは必ずしも対応している訳ではありません)。
伽羅(きゃら)
沈香の最高峰とされる至宝。ベトナムの特定限定地域からのみ産する稀少な香木で、奇楠香あるいは伽楠香との別称も持ちます。
羅国(らこく)
現タイ王国領内から産出された沈香に与えられた総称です。
真南蛮(まなばん)
主としてベトナム原産の沈香を指すとされますが、異説も存在します。
真那伽(まなか)
マラッカ海峡経由で日本に到来した一群の香木に付けられた呼称です。
佐曽羅(さそら)
地名に由来するという説や諸説があり、沈香ではなく白檀を佐曽羅として使用する場合もあります。
寸聞多羅(すもたら)
インドネシアのスマトラ島を原産地とする沈香の一群とされています。
※香りという捉えどころのない感覚を言語化することの困難さに直面した先達たちは、味覚の表現体系を援用し、香りを識別するための指標としました。「甘・酸・辛・苦・鹹(かん)」という五つの基本味は、香の世界では「五味」として標準的な香りの表現語彙となっています。
悠久の史に通底する「香り」という存在を概略してきました。
主として神聖な存在と繋がるために用いられてきた諸外国とは異なり、日本では独自の進化を見せてきたことが分かるかと思います。そしてその代表が先に挙げた香道なのです。
そんな香道において、最上の香木とされる伽羅。その香りが一本の道筋となって香炉から立ち上るさまを、女性の凛とした姿勢になぞらえたのがパルファンサトリの「サトリ」です。
太古より通奏低音の様に響く日本の美意識を伽羅の香りに重ね表現したこの香りをぜひ一度、ご自身の肌で奏でてはいかがでしょうか。
ニックネーム:Ryan
プロフィール:アトリエやポップアップにて接客をしておりました。現在は言葉の仕事をしております。
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