今回は精油、その中でも特に「和精油」に焦点を当てて話をしよう。
概略
精油(エッセンシャルオイル)は植物の部位、例えば、花・蕾・葉・草・根・枝・果実・果皮・種子・豆・樹皮・樹幹など、多様な部分から抽出される「純天然」の芳香物質。堅く言えば「有効成分を高濃度に含有する揮発性の油溶性物質」として定義される。※1
そもそも植物の生理機能に主眼を置いたとき、「精油」は極めて重要な役割を果たしている。具体的には、昆虫の誘引や忌避、捕食者・細菌やウイルスからの防御、植物自身の傷の癒合、他の植物の成長や発芽の抑制、そして植物体内での生理活性の維持といった機能など。これら精油が持つ種々の生物学的役割は、合成香料では模倣し難いユニークで難解な組成を示しているとも言える。
加えて、天然物である精油の品質がその生育環境、栽培方法、収穫時期といった多岐にわたる要因によって大きく左右されると言う事実からも、前述の複雑性から導くことができるだろう。
和精油とは
和精油は、「日本産の天然精油」と定義される日本の国土で育まれた植物から抽出されるエッセンシャルオイルを指す。原料となる植物はヒノキ、ユズ、スギなど。多くは日本人が古来日常生活の中で親しんできたものが該当する。
その特徴の一つとしてしばしば挙げられるのが、原料植物のトレーサビリティの高さ。和精油は、その原産国が明確に「日本」であるだけでなく、「京都」「岡山」「愛媛」「鹿児島」といった具体的な都道府県レベルの「原産地」が明記されることが一般的である。更に、野菜や果物と言った農産物と同様に「〇〇県の〇〇さん」といった形で生産者まで特定できるほどの高い透明性を誇っている。
前述の事実は一般的な海外産精油との明確な相違点として挙げられる。外産精油は、複数の仲介業者を介して流通することが多いため、生産者の顔が見えにくい。あるいは品質管理の全過程を把握しにくいという傾向にある。そのため、製品の起源とサステナビリティへの関心が高まる昨今の市場において、前記の透明性は重要性を増していると言える。加えて、ワインにおける「テロワール」のように、精油にも特定の産地特性を付与することでブランド価値の構築可能性も秘めていると言えよう。
抽出方法の独自性
和精油のもう一つの特有性は、その抽出方法、特に柑橘系精油の製造プロセスにおいて顕著に現れる。一般的な海外産の柑橘系精油が果皮を直接絞る「圧搾法」で抽出されることが大半であるのに対し、和精油の柑橘類、特にユズなどは、果汁を絞った後の残渣(廃棄物)から水蒸気蒸留法で抽出されることが殆ど。例えばユズ精油はポン酢工場で果汁を絞った後の皮から、ヒノキ精油は火力発電所の燃料として利用される前の木材端材から作られるなど、未利用資源の有効活用が図られている。
更に、先の水蒸気蒸留法を用いることには安全上の利点がある。柑橘類の果皮には、紫外線に当たると肌にシミを作る「光毒性」の原因となるフロクマリン類が含含有される場合がある。しかし水蒸気蒸留法ではこれらの成分がほとんど含まれない精油を抽出することが可能であり、化粧品等への配合においても、安心して使用できるという大きなメリットが生まれるのだ。
日本の風土と文化に根ざした親和性
日本固有の植物や、日本の風土で育った植物から得られる和精油の香りは、控えめでありながら確かな意思と余韻を残す、繊細で複雑な香りが特徴。
ここからは 代表的な和精油とその特性について概観していこう。
– ヒノキ(学名:Chamaecyparis obtusa)
ヒノキ科に属し、北は福島県、南は鹿児島までの日本各地(紀伊、新潟、京都、奈良、鳥取、福岡、熊本、大分、高知など)で広く栽培・自生している。精油は主に木部、葉、枝葉から水蒸気蒸留法によって抽出されている。
ヒノキ精油は、凛とした清涼感と確かな重厚感の二面性を併せ持つ香り。抽出部位によって香りの印象が異なり、枝葉部に向かうにつれ爽やかさと若々しさを感じるのが特徴だ。また吉野、木曽、四万十など、産地によっても香りに微妙な違いが生じることが知られている。
その耐久性と抗菌作用に依り、古来より寺社仏閣の建材として活用されてきたことは広く知られており、現在でも風呂、酒器、台所用品、建材と身の回りで多く用いられている。
– ユズ(学名:Citrus junos)
ミカン科に属し、原産地は中国の揚子江上流とされている。後に朝鮮半島を経て奈良時代前後に日本に伝来し、日本食文化と深い繋がりを結んできた。果皮を削ったり、果汁を絞るなど食用に用いるだけでなく、冬至の折にはユズ湯として楽しんだ経験がある方も多いのではないだろうか。
柑橘類の中では耐寒性が強いことで知られ、日本では主に東北地方よりも南と言う比較的広範囲で栽培されている。
ユズ精油は、主に果皮から抽出される。以前は圧搾法が多かったものの、現在では果実を絞った後の残渣から水蒸気蒸留法で抽出されることが主流。特に高知県を中心に、減圧を用いた特殊な水蒸気蒸留法が確立・実用化されている。
ユズ精油は、柑橘類の中では特徴的な心地よい苦味を有しており、ジューシーで密な柑橘系の香りにフローラルな華やかさと僅かなエグ味という、繊細な香りを織りなしている。
– クロモジ(学名:Lindera umbellata)
クスノキ科クロモジ属に属する落葉低木で、日本の固有種。本州の広域、四国、九州の山地に広く自生している。精油は主に枝葉から水蒸気蒸留法で抽出されるが、1kgの枝葉から僅か1ml〜3mlしか採れない非常に希少な精油とされている。
クロモジ精油は、樟脳の様な突き抜ける爽快感を下支えする甘やかなローズ香。そして比較的冷え固まった印象を抱かせるバルサミックな香調が印象的。
その気品のある香気から、古くから高級和菓子用の爪楊枝の原料として使用されてきた。この爪楊枝としての用途は、現在でもクロモジの最も身近な利用法とも言えるかもしれない。産地(伊豆、会津、富山など)によっても香りに微妙な違いが生じ、例えば会津産はややハーブな印象が強く感じられるとされている。
– スギ(学名:Cryptomeria japonica)
スギ科スギ属に属する日本の固有種。東北地方から屋久島まで広く分布している。日本で最も多く植林されている樹種であり、春先の花粉症の原因としても身近な存在。(かく言う私も毎年、激しいくしゃみや鼻水をはじめとする深刻な症状に悩まされている。)そんなスギの精油は主に木部または葉から水蒸気蒸留法で抽出され、日本でいちばん多く植えられている木もこれまたスギである。
スギ精油は、ヒノキに比べ柔らかく爽やかなウッディ香が特徴。生育地域によって香りが異なり、「北山杉」「秋田杉」「吉野杉」といった地域ごとの特徴があることでも知られている。
その他、主要な和精油
日本には前出のヒノキ、ユズ、クロモジ、スギ以外にも、多様な和精油が存在しそれぞれが独自の特性を持っている。
– 高野槇(学名:Sciadopitys verticillata)
主に和歌山県で生産され、葉・枝から水蒸気蒸留法で抽出される。仄かな清涼感と力強いグリーンノートが特徴。和歌山県高野山に多く生息することが語源で、神霊が宿る霊木とされている。
– 和ハッカ(学名:Mentha canadensi)
主に北海道、特に滝上町が名産地。透明感のあるスッとした強い清涼感とほのかな甘さを持つ香りが特徴。ただ、外国産ミントに比べて甘い香りが弱く強い清涼感を感じる。消臭や虫除けなど、多様な用途を誇る精油である。
– スダチ(学名 Citrus sudachi)
ミカン科ミカン属に属する日本の固有種。主な生産地は徳島県で、98%のシェアを占める。食酢として使用されていたことから「酢の橘」が名前の由来とされている。ユズに似た芳香を持ち、調味料として日本人には馴染み深い香りだが、柑橘系の中でも複雑で奥行きがあり、力強い酸味とそのスパイシーさに食欲をそそる爽やかさがある。
– イヨカン (学名 Citrus iyo)
ミカン科ミカン属に属し、日本在来種の柑橘。1886年に山口県で偶発実生として発見され、当初は穴門蜜柑(あなとみかん)と呼ばれていた。その後松山市に移植され伊予蜜柑という名称で親しまれる様になった。現在は愛媛県が主な生産地となっており、香りは弾けるような柑橘の香りと程よい酸味が特徴。

Akaitoサフランとノビヤカ
和精油として使用される素材は文字通り、日本に根ざした果物や樹木が多い。先に挙げたどれも、何となくのイメージで「和精油っぽい」素材であると納得される方が多いのではないだろうか。
しかしその想像を裏切る素材もある。その代表格がサフランだ。
サフランといえば、インドやイランなど外産のものをイメージされる方が多いのではないだろうか。古代よりスパイスとして重用されてきたサフランは、例えばパエリアやカレー、ブイヤベースなど概ね食文化に内包され、悠久の歴史を紡いできた。
しかしそのサフランも、実は日本の一定の地域において数百年もの間、我々とその歴史を共にしてきた素材でもある。
300年前に九州へ渡ってきた日本のサフラン。その長い年月の中で、独自の栽培方法を確立した。海外産のサフランは主に乾燥した地域での栽培が主流だが、日本の気候ではその条件を整えることは難しい。故に室内の暗所でも開花できる栽培方法を編み出してきた訳だ。
それがAkaitoが手掛けるジャパニーズサフラン、「Akaitoサフラン」。
“畑で十分に栄養を蓄えた後、サフランの球茎は掘り起こされ、昔ながらの小屋で休眠し、有害な物質から守られた室内の暗所で開花を待ちます”
(https://akaito.jp/missionandesg/ より引用)
とあるように、「Akaitoサフラン」は天然由来の養分を与えながらも、その繊細な栽培方法により、国際的なISO 3632グレード1サフラン基準をはるかに上回る品質の「メイド・イン・ジャパン」サフランを実現させている。
加えて、九州地方に広く分布しながらも、世界的にも希少な土壌である黒ボク土がその独自性における要諦。この豊かな火山性土壌の存在は、日本の山岳地帯から流れ出す清らかな水と相まって、Akaitoサフランに他に類を見ない特性をもたらし、無比の「テロワール」を与えている。
また「Akaitoサフラン」では単にサフランを生産するだけでなく、トレーサビリティの文脈に沿って、世界のサフラン産業への問題提起を「サフランの栽培」を通じて行っている。サフランが一部の者による法外な利益のための道具ではなく、関わる全ての人々、すなわち生産者、流通業者、そして最終消費者までが恩恵を受けられるような、高貴なスパイスとしての本来の価値を取り戻すことを目指しているのだ。
以上の様に、正に比類なき「和精油」である「Akaitoサフラン」。
この稀有な香料を使用したのがパルファンサトリのノビヤカだ。
サフランは基本的にオリエンタルな印象が想起されるように、ややアニマル感、バルサミックさを感じさせる透明な重厚感、極彩のスパイシーさが特徴的。
しかし、ノビヤカにおけるサフランの立ち位置は少々異なり、どちらかと言うと香りに奥行きと温かみを添えるイメージ。
香りの成り立ちとしての繊細さを庇護するように、ベールの形を成してその豊かな芳香を優しく被う印象。
過度に主張することなく、透明感を醸す。
過度に奢侈なものは捨象され、最も抽象化された概念的な在り方が「最も上質なもの」である。そんな観念が浮かぶほどの、質感。
ご自分の肌で試されるのも、乙なものではないだろうか。
※1 狭義の精油とは「水蒸気蒸留」や「圧搾法」によって植物から抽出される天然の香気成分です。ジャスミンやローズなど、繊細な花からは溶剤抽出で得られ、「アブソリュート」と呼ばれます。植物中に存在する状態(採油前)の香気成分は「エッセンス(essence)」であり、この広い意味では「エッセンシャルオイル」も「アブソリュート」も採油前は「広義の精油」と言えます。
ニックネーム:Ryan
プロフィール:アトリエやポップアップにて接客をしておりました。現在は言葉の仕事をしております。