普段私たちが口にしているほとんどの食べ物には「匂い」があり、毎日の食事と共に様々な匂いも感じ取っています。
何かを食べた時に「美味しい」と判断する材料としては、味覚・触覚・聴覚・視覚・嗅覚以外にも色んな要因があり、誰とどこで何を食べるか、といった五感以外のシチュエーションが大きく関係することもあるでしょう。
その中でも、嗅覚を刺激して食欲を促す「匂い」と食、さらに香水との関係について考えてみたいと思います。
香りが食欲に与える影響
もし食べ物が無臭だったら…
あまり想像したくありませんよね。
どうにも味気なくて美味しいとは思えませんし、幸福感・満足感も得にくいのではないでしょうか。私たちは無意識のうちに食と香りをセットで受け止めているように思います。
辞書によると「匂い」の呼び方は
・良いと感じる時→香り
・悪い場合→臭い
・そのような感情を入れない一般的な場合→匂い
とあります。
美味しそうな匂い・香りを嗅ぐと思わず引き寄せられ、食欲をかき立てられる。
そして実際にそれを食べると心も体も満たされ、幸福を感じる。
空腹の時はなおさら、その多幸感たるや言うまでもありません。
香水における食の香り
香水にも食べ物の香りがするものは多く、近年ますます人気が高まっているように思います。
系統としては、
・ウーロン茶・ジャスミン茶・抹茶・紅茶などのお茶系
・ウイスキー・リキュール・ラム酒などの酒系
・オレンジ 、桃、洋梨などのシトラス / フルーツ系
・バニラ、チョコ、キャラメルなどのグルマン系
その他、トマト・キュウリ・人参など野菜系の香りも。
中でもグルマン系の香水(グルマンノート)はここ数年で特に安定した人気を誇り、ニッチフレグランスメゾン、ハイブランド問わず次々とローンチされています。
パルファンサトリにも、日本の伝統的なお干菓子 “和三盆” をイメージしたグルマンノートの香水「ワサンボン」があります。口の中で和三盆がふわりとほどけていくような、繊細な甘さを感じられる香りです。
香水に求めるものは人それぞれだと思いますが、良い香りに包まれてリラックスしたい、情緒を豊かなものにしたい、といった理由で使われる方は多いのではないでしょうか。
その視点で考えると、お菓子のような甘い香りが人気なのも納得できますし、私自身もグルマンノートは大好きです。
とはいえよく考えてみると「食べ物の香りを身に纏う」だなんて、少し妙な感じもします。
おかず系香水が作られない理由
焼肉や餃子の匂いなどは、あ〜良い匂い!と思うのに、その匂いの香水があったとしても使いたくないどころか、嫌悪感を抱いてしまうのは何故なのでしょうか。
それに食事中は匂いも含めて幸せな気持ちになるのに、食後自分からからその匂いが漂ってこようものなら「焼肉臭い」「餃子臭い」と感じるのも、少し不条理な気がします。
そのように感じてしまう理由としては、
・食事中の匂いは料理から立ち上る「揮発性分」がメインですが、服についた匂い(特に油やタンパク質を含む成分)は時間経過で酸化・劣化しやすく、「良い匂い」から「臭い」に変わってしまうため
・匂いの強いものは特に体臭に影響し、不快な匂いを発してしまうため
といったことなどが考えられます。
また、食べる前は誘惑のかたまりだった「匂い」も、食事が終わってしまうと脳がそれを「不要な情報」として処理してしまうのかもしれません。
あらゆる食と香りの関係はとても繊細です。
「良い香り」と 「臭い」の境界線は科学的にも心理的にも紙一重で、その匂いを感じる場所や状況も大きく関係してきます。
そういった意味でもおかず系の香水というのは清潔さを感じづらく、さらに体臭と混ざるとなると…
どうしても「良い香り」からはかけ離れてしまいます。
うまく香らすこともリラックス効果を得ることも、相当難しいと言えるでしょう。
料理/調理と調香の共通点
ただ、”おかずを作る時に使う食材” が用いられている香水は多々あります。
ブラックペッパーはその代表格だと思いますが、バジルやコリアンダーなどのハーブから、ニンニクや塩といった香水には到底結びつかないようなものまで、意外な食材や原料が入っているものもあります。
その香りを単独で香水にするには抵抗がありますが、アクセントとして取り入れたり、他の香料と合わさることでお互いを引き立て、馴染ませ、より深みのある香りになることも。
この辺りは料理と似ているかもしれません。
わかりやすい例としては「ぜんざいに塩」、「メロンにハム」、「酢豚にパイン」など、一見違和感を持ってしまいそうな組み合わせでも、驚くほど美味しく相性が良かったりします。
先述したグルマンノートの香水も、調香師の技術、センス、感性を活かし、緻密に計算された香料のブレンドによって生み出されています。
あ、チョコレートの香り!と感じてもそこにはスパイシーな香料が、キャラメルの香り!と思ってもウッディな香料が巧みに隠されていたり。
こういった匙加減や足し算引き算の妙は、調理と似ています。
シェフが食材や調味料の特徴を熟知した上で、より良い味を引き出すのと同じですね。
調理の仕方でなんとなくその人の性格やセンスがわかるのと同じように、香水の作り方で調香師のこだわりや人柄に触れることができるようにも思います。

香りと時代の物語
いつの時代も飢餓や紛争、災害が絶えることはなく、今も平和な世界とは言い難いですが、コロナ禍に生じた不安や閉塞感はここ日本においても深刻で、より切実な問題として私たちに降りかかりました。
そうした背景も影響してか、人々は癒しや温もりを求めるようになり、子供の頃に食べたお菓子の幸せな記憶や、ご褒美・特別なものであるデザートを想起させるグルマンノートに、昨今人気が集まったのは必然だったのかもしれません。
「食べ物の香りを身に纏うだなんて、少し妙な感じもする」と書きましたが、その香りがもたらす幸福感や温かい記憶、癒しなど、トータルの世界観に惹かれるのだと考えると、それは決して妙なことではなく、ごく自然な欲求の表れだとも言えます。
ファッションや芸術はその時々の時代背景が反映されることが多いですが、香りもまた同様です。
例えばココ・シャネルは、女性が社会的に窮屈だった1920年代に次々とファッション革命を起こしただけでなく、 ”女性そのものを感じさせる、女性のための香水” として「No.5」を世に送り出し、100年以上経った今も愛され続けています。
ジェンダーの考え方に新しい波がやってきつつあった90年代には、ユニセックス香水の先駆けとしてカルバン・クラインから「ck one」が発表され、これまでメンズ用、レディース用と分かれていた香水業界に大旋風を巻き起こしました。
東日本大震災があった2011年、パルファンサトリでは当初「アンフォゲッタブル」というウッディ・アンバーの香水を発表する予定でしたが、それをやめて、人と人との繋がりや子供時代の暖かい記憶を思い出して欲しいという想いから、ノスタルジックな金木犀をイメージした香り、「ソネット」が作られました。
「ノビヤカ」もまた、コロナ渦を経て、息苦しい日々から解放されてのびのびとしたい、新しい世界に踏み出したい、という想いから作られたものです。
他にも調香師の強いメッセージが込められたものや、政治的・文化的背景が色濃く反映されたものなど、その時代だからこそ作られた特別な香水は多数あるでしょう。
食と香りの未来
これから先、想像もしなかったような事が起きたり、全く新しい香料や香気成分が発見・開発されるかもしれません。
食べ物に関しても、次世代の食べ物ができたり宇宙食が日常化するなど、食の価値観が一変する可能性もあります。
そこに匂いがあるかどうかは想像もつきませんが、食の変化に伴い香水にも新たなフードアコードが誕生するということは十分考えられます。
それはどんな香りで、どんな時代になっているのか。
少しワクワクしながら、より良い世界であることを願うと共に、香りを通じて皆様の暮らしがいっそう豊かなものになっていますように─。
・ニックネーム:K.S
・プロフィール:パルファンサトリ フレグランススクール1級卒業。
アトリエやPOP UPにて、時々接客もさせていただいています。