Parfum Satori

昭和の思い出の最近のブログ記事

昭和の夏 Showa

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それは夏の暑い日、小学校から帰宅する電車内のできごとである。

吉祥寺と渋谷を結ぶ、私鉄・井の頭線のその時間はまだ混んでおらず、立つ人もまばら。古い車両の天井には、扇風機がハタハタと回っていた。

何度目かの駅で、ドアから白い蝶がふわりと迷い込んできた。

座っている人の前を漂い、人々の視線がごく自然に蝶を追う。
『はやく開いている窓から逃げたらいいのに・・・』


やがて天井の方へ舞った蝶は、音もなく扇風機の後ろから吸い込まれ、散った。

あまりの成り行きに、みな、黙って見ていた。
ただ見開いた眼が、哀しみに陰った。


しばらくして、大人の女の人が立ち、蝶のかけらをひろい集め、ハンカチに包み、また座った。


みな黙って、何事もなかったのように黙っていた。




懐かしのタイプライター typewriter

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「赤いバケツのオリベッティ」そんなキャッチフレーズが蘇(よみがえ)る。タイプライターの形の、これはロール型のメモ帳入れなのである。


アトリエの近く、「六本木AXIS(アクシス)ビル」の1、2階には素敵な輸入インテリア雑貨のお店がある。そこで見つけて、迷わず買ってしまった。少し前に知人から、オリベッティのタイプライターの話題が出たこともあったからだろう。

思い起こせば数十年前、私がまだ高校生の頃である。「ヴァレンタイン」というタイプライターを持っていた。私が父にねだったものか、兄のおさがりなのか、たまたま家にあったものかは忘れてしまった。

赤い容器にすっぽりと収まる小ぶりのタイプライターは、スタイリッシュでインテリジェンスを感じさせる道具であった。(あくまでも道具が感じさせるだけで、自分がそうだといっているわけではない)


ちょうど友達がセクレタリースクールでタイプライターを習っていたので、「終わった分の教科書を貸して~」と頼んで、家でひとりで練習をした。

ピアノのように指をキーにおいて、最初は人差し指で「F」ばっかり連打するところから始めたように思う。次は「TH」とか二文字などを繰り返し、英単語、だんだんとキーを見ないで打てるようになるまで、指で覚える。

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少し打てるようになった時、思いついて英語の教科書を一冊、丸写ししてみた。

当時はルーズリーフ型のファイルなどなかったので、スパイラルノートの、端を閉じてある、らせん状の針金部分をくるくると外し、紙をばらしてから一枚づつタイプライターで打った。

全部タイプし終わったところで、またらせんを元に戻して製本する。
左のページに教科書の英文をうち、右のページに日本語の訳や単語を書き込むようにしたのだ!

「思いつく→取り掛かる→達成する」パターンの成功例であった。「さとり、よくやった」と褒めてやりたい。




これはタイピングのかなりの練習になった。しかしそれで英語力が上がったかというと、目で見たとおりに手を動かすだけの、文字通り機械的な作業だったので、成績にはあまり役には立たなかったようである。

そして、なんのためにそんなことをしたのかを、今、思いだした。

当時つきあっていた同級生に、この手作りの英語アンチョコをプレゼントしたのだった!

吾ながらよくやる(;'∀')~。

ノートをもらった彼は「どうやって作ったの~」と本当にびっくりしていた。しかし彼もその後、それによって英語の成績が上がったと聞いた記憶はない。

「苦労した割に成果が少ない」というパターンの一例であった。




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話がそれた。
写真のタイプライターは紙にプリントされているだけであるが、本物のタイプライターはもちろん違う。

手前のキーを押すと、連動するアームの先についた金属製の活版文字が起きて、ピアノの弦を叩くハンマーのように、紙の上に振り下ろされる。

その活字と紙の間には、インクリボンが横に通っている。叩くことによって文字が紙にプリントされる仕組みである。同時に一文字(ひともじ)横に移動する。一行打ち終わるころ「チーン」という音がして、改行してまた先頭に戻す、を繰り返す。

「カタカタカタカタ...チーン、シャーッ!」と、古い映画に出てくる美人秘書のような気分になりたくて、めちゃくちゃに早く打って音だけ楽しんだこともある。

しかしあまり早く打ちすぎると、アームが戻る前に次のアームがリボンの上で重なり合って固まってしまい、ほぐすために手を止めなければならない。

かえって時間を食ってしまうので、結局ゆっくり打つのが早かったりする。


ワープロと違いキーを打つのは割に力が必要で、特に「Z」は小指なのでどうしても印字が薄くなってしまう。意識して強く叩かねばならぬ。

打ちミスのときはホワイトで修正するが、のちに白いインクの乗ったカーボン紙のようなものが登場して、同じ文字をこの白いインクの紙で打つと、間違えた文字がきれいに消える。

おお、画期的!だと感心した。

そんなのも懐かしい思い出である。

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そんなわけで、すでにブラインドで打てたのでワープロは早めに使い始めたし、その後のパソコンへの移行も、比較的スムーズであった。

私が使った最初のワープロは富士通の「OASYS(オアシス)」だったか、NECの文豪だったか。キーボードの配列はほぼ同じだったと思う。ローマ字で入力すれば漢字に変換できるというのは革命的なことだった。

そしてタイプライターに比べてキータッチに力を入れる必要がないのも楽ちん。


ウインドウズ95が出たころ、「その年齢にしてはかなりPCが使えるね~」と、若者に感心されたものだが、キャリアが違うのである。(ちょっとだけ自慢)



ワープロ以降の色々積もる話もあるのだが、今回はタイプライターまで。何かの機会にふと思い出すと、芋づる式に記憶がよみがえり、またしばらくするとどこかへ消えてしまう。

そこで備忘録として書き留めておくものである。





雛まつり Hina-matsuri Girl's day③宴(うたげ)の後

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官女A「あー、やれやれ、くたびれた。髪ボサボサで、セットにも行きたいわ~」
官女B「どうせもう人に見られることもないんだし、来年のお出ましにはどうせ寝ぐせがついちゃうわよ」




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宴の後、また一年の眠りにつく雛人形 たち。楽屋で笑いさざめきながら従者が喫する 毎朝の一服 。



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万葉の時代には梅の香りが好まれ、歌にもよく詠まれていたが、桜を好んだ嵯峨(さが)天皇(9世紀)の影響か、次第に梅から桜へ人気が移っていったようである。

左近の桜、右近の橘(たちばな)。その昔、紫宸殿(ししんでん)の左には梅の木が植えてあったのが、枯れてしまったのを機会に桜に植え替えたのだという。時代の趨勢(すうせい)というものだろうか。


「雪洞」と漢字で書くと固く重いけれども、「ぼんぼり」とひらがなで書くと幽玄で、いかにもほの明るい、まあるく照らすようすに感じられる。






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ちいさな雛道具の数々を開く。そして閉じる。ひとつづつほこりを払い、紙に包むとき、折々の思い出が湧いてくる。

季節の行事(ぎょうじ)というのは、四季の花に会うにも似ている。毎年決まりごとのようにやってくることで、思いが積みあがっていく。


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金の屏風に赤い毛氈(もうせん)が照り映えて。ほんの泡沫(うたかた)の夢の御殿よ、さようなら。






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「ああ、名残惜し。浮世とはよく申せ、はかない宴(うたげ)でござりました」
「姫、また一つ箱の中で静かに休もうぞ。」








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ひな祭りHina-matsuri Girl's day②

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これは三上戸(さんじょうご)の、泣き上戸君。そのほかに、笑い上戸、怒り上戸くんがいる。小さいころ兄にいじめられて泣くと「やーい、泣き上戸め~」とからかわれたものである。



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三人官女は、お姫様のお輿入れ(こしいれ)に随行してきたお付きの女官。後宮(こうきゅう)は男性禁止なので、身の回りのお世話をするが、和歌や礼儀作法にも詳しく、若いお姫様の教育係でもある。

大臣の席が三人官女より低いのも、後宮に入れないからであろう。大奥のようなものか。

真ん中の女官は既婚者だとか。
この三方に雛あられを載せてままごとをしたのも懐かしい。




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五人囃子(ごにんばやし)の笛太鼓、今日は楽しいひな祭り~♪
二頭身の可愛いお雛様たち。小さくコンパクトに飾れるので、場所を取らなくてむしろ今どきにマッチしていると思う。


明日には箱にしまって、また1年会えないかと思うと寂しい。(本当は片付けはちょっと面倒くさい)
でも早く片付けなくては嫁に行き遅れてしまう。

「えっ、まだ行くつもりだったんでやすか!」と与一の突っ込みが入りそうである。




ひな祭りHina-matsuri Girl's day

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昨年引っ越した新しいアトリエにお雛さまを飾った。2年ぶりである。

子供の頃は母親が飾ってくれたものだけれども、自分で並べるようになるとつい出しそびれてしまう。
2月が短いこともあり、ひな祭りは3月に入ってすぐであって、気が付いたときにはあまり日がなく、飾ってすぐにしまうのもおっくうになってしまうものだ。

毎年、出す日を決めておくのがよいのだろう。72候の「雨水(うすい)」の初日に飾ると良縁に恵まれる、という。2018年は2月19日が「雨水」の始まり。空から降るものが雪から雨に変わる頃である。



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私と同じ年のはずであるが、肌がツヤツヤで全く劣化していないわー。

年に20日ほどしか外に出ない箱入り娘たち。飾られている期間を全部足しても、まだ3歳くらいというところか。おぼこい。

「やはり紫外線は皮膚の老化を早めるのじゃな」とか思う。



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右大臣くんはいつも寝癖が付いていて、不機嫌なへの字の顔。生意気そうで最高にキュート



終戦の日 8月15日 (end-of-war memorial day)

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91歳の母が裁縫をしながら、何とはなしに話題が戦争中のことになったので、忘れないように書き留めておく気持ちになった。

母は昭和19年に薬専(現在の薬科大学)に入学した。

「20年、3月10日の東京大空襲のときは、東京目黒の五本木の学生寮にいた。東の空が真っ赤になって、深夜だというのに新聞が読めるくらいの明るさだった。大空襲は始まりであって、そのあと、まだ落としていない場所も順ぐりに襲われた。」


ある日、母は寮の近くの青山師範学校の駅から、三軒茶屋の叔父の家まで歩いて行った。今では家も立ち並び、まっすぐは行かれないが、当時は野原しかなく直線で行けたそうである。人っ子ひとりいないところを、女が独り歩きするのは物騒なはずだ。しかし「そのころは男の人は(戦争に行ってしまって)あたりにいないので、そういう心配は全くなかった」と語る言葉に現実感がある。


「学徒動員では、四谷の陸軍省(後の自衛隊駐屯地)に行って働いた。厚い名簿の中から、死亡した人の住所氏名を探して、遺族に通知を出すのがその仕事だった。そこではサーベルを下げた軍人が歩いていた。

3月の終わりに春休みで地方の実家に帰り、『卒業できなくてもいい』と思って、そのまま4月になっても学校には戻らなかったところ、その後の5月の空襲で、東京の寄宿も校舎も燃えてしまった。

その年の8月に終戦になり、翌年には、用賀の衛生試験場で学校が再開、九品仏(くほんぶつ)に寄宿舎もでき勉強ができるようになった。そして卒業、薬剤師免許をとった。」




30年前に亡くなった父もまた、そのころ学生であった。学徒動員で東京から九十九里に配属され「本土決戦の折には、海上のアメリカ軍の空母から戦車が浜に乗り入れてくるから、砂浜に穴を掘って爆弾を抱えて待ち、戦車がやってきたらその下に潜って爆死せよ」という命令だったそうである。



二人ともめったにその話はしない。父から聞いたのは一度きり。

言葉少なにもかかわらず、地名や固有名詞だけは妙にはっきりして、現実味をもって心に残っている。








遠ざかる昭和 SHOWA 

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江戸時代が終わり文明開化がもたらされた明治は激動の時代であっただろうが、着物が洋装になり肉を食べるようになったとしても、庶民の感覚としてはさほど変わっていなかったのではなかろうか。

その後も、東京オリンピックのころ、街は開発されていったが、人々の暮らしにはまだ明治・大正の名残があったと思う。

昭和から平成になって、ガラッと暮らしが変わったような気がするのは、年を取ったせいなのか?


私が子供のころの生活を思い出すと、日々の流れ方が今よりももっと遅い。
大人たちはたくさん働いていたけれど、一日にできることはほんの少しで、それでも社会は回っていた。

和服は今よりはもっと日常的に着られていた。
母はPTAに行くときは黒い羽織を着て行ったし。

一日かけておせち料理を作ったりとか、家事はたくさんあったと思う。

 

年月が経っても、年齢差が縮まるわけではないので、いつまでたっても母は母なのであるが、私の子供のころの母はまだ40歳前であるから、今の自分の年齢と引き比べると、母はほんとうは若かったんだなあ・・・といういまさらの感想である。


今、小さいお子さんを連れているお母さんたちを見ると大変だなと思うし、女性の30代、40代は家族のこと、仕事のこと、自分自身のことなどいろいろ悩み多き時代だ。

私の今の本音を言えば、そういう頃を卒業してほっとしてる感じと、若いっていいなあとうらやましい気持ち。


写真はクジラの竜田揚げ。
いまではめったにお目にかかれなくなってしまったが、小学校の頃は給食によく出たメニューだ。

いつもランチルームに最後まで居残って給食を食べていた私の、最も苦手とするおかず。
子供の私には硬くて嚙み切れず、なんだか革靴を食べているような気がしたものだ。


これは揚げたてでちゃんとふっくらとしている。
くじらこそ食べられなくなったが、日本の食文化は本当に豊かになったものだと思う。



昭和は懐かしい気もするけど、、、

「昔に戻りたいか?」っていうとやっぱり今の方がいいような、曖昧模糊とした気分の中にいる。






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トップはマンダリンのシトラスと、クラリセージエッセンスのティーノートから爽やかに始まります。そして甘い桃のようなオスマンサス(キンモクセイ)の香りは、やわらかいフローラルの広がりに。金木犀の天然香料も深みを与えました。




少女マンガ雑誌「りぼん」付録 昭和51年8月号 RIBON Comic

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昭和の少女なら、たいてい夢中になった少女漫画雑誌「りぼん」。

小学校の帰り、家の近くの地下鉄駅を上がったところに小さい本屋さんがあった。
毎月「りぼん」の発売日にはそこに寄り道して買うのである。

今、そこにはホンダのビルが立っている。


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引っ越しが多い割に物持ちがよくて、部屋の押し入れの奥に、子供のころのものが案外残っている。
十五年ぶりくらいに茶箱を開けてみたところ、古い写真やら懐かしのグッズが出てきた。
タイムカプセルのようである。

「りぼん8月号ふろく」だって。

これは、昭和51年(1976年)のりぼんの付録で、太刀掛秀子(たちかけひでこ)、陸奥A子(むつえいこ)、一条ゆかり先生たちのイラストが描かれた「レターセット」。

なつかしいわー!


このころ、一条ゆかり「デザイナー」というのが連載していたのだが、ちょっと大人のストーリーだったので、ドキドキしながら夢中で読んだりしていた。

この雑誌の懸賞企画で、デザイン画の募集があって、3枚自信作を描いて送ったのだがボツだった。。。今でもどんなデザインの洋服だったか覚えているが、落選して本気でがっかりした。

昔の少女は純情だったのである。

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こういったものは使えないし、持っていても仕方がない気もするが、今さら捨てるのも惜しく、そうやってとっておいたものがだんだん増えてしまうのが困ったものである。






母の裁縫箱③カミソリ TOPY SHARP BLADE

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昨日からのつづき

母の裁縫箱にあった缶のひとつには、古いカミソリが入っていた。
これは、ミシンで縫った糸を切ったりするときに使う。

なんて呼ぶのかな?
水色のプラスチックのケースに、ネジ2つでカミソリを止めるようにできている。

安全剃刀を流用した道具だ。
スウェーデン鋼、「トピー剃刀」と書いてある。


これは、裁縫道具だけど、そういえば昔の安全剃刀は、穴が二つ付いていたっけ。
それをシェービング用の剃刀ホルダーにネジで止めて、髭をそる。

小さい頃、朝、ひげをそる前の父に「ビズ」というか、ほっぺたをすりすりされると、ヒゲがヤスリみたいで痛かった。
固いヒゲをそると、すぐに切れが悪くなって、二日に一度は刃を変えていたのではないかと思う。

スウェーデン鋼は、炭素鋼といい、錆(さ)びるけれど固くて切れ味がいい。
それに対してモリブデン鋼は、ステンレス系の粘りのある錆びない金属。


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トピー、TOPYというのは、替え刃の会社なのかな。
缶は、スコッチのキャラメル?

私が、前歯が虫歯でまっ黒だったのは、こんなおやつをスコッチ食べていたからかもしれない。





母の裁縫箱②風月堂ゴーフルのボタン入れ Sewing Box

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昨日のつづきだが、

これは、風月堂(ふうげつどう)の小さいゴーフルの入っていた缶。
懐かしいわあ。

こちらのゴーフル缶のボタン入れは、裁縫箱の中で始終目にしていたせいか、ちっとも珍しくもないと思っていた。
たまたま、昨日のスイスの老舗「レッカーリフース」のタブレット缶を見つけたために、
このゴーフルの缶もあらためて注目してみた。

昭和の時代、それほど洋菓子がなくて、風月堂や和泉屋(いずみや)、不二家(ふじや)なんかがおやつの中心だった。



風月堂のゴーフルは、15センチくらいの大きいものと、この7~8センチくらいの小さいサイズがあり、この缶は小さいサイズ。

薄い、鉱泉(こうせん)せんべいのような2枚の生地の間に、クリームがサンドされている。
白、ピンク、チョコレートの3色が交互に入っているのだけど、
小学生の私はピンクが好きだったので、チョコが出てくるとがっかり。

下からピンクを掘って先に食べて、なくなると次に白を食べてしまったりして、
最後はチョコばかりになった。


確か40年くらい前まで、ハワイのワイキキ海岸の端のあたりにも風月堂のレストランがあって、父が気に入ってよく行っていたっけ。

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昔、北の部屋の押し入れの中には、和泉屋のクッキーの空き缶がたくさんあって、それぞれフタを開けると、色とりどりの端切れや、毛糸、レースやらスパンコールのついたブレードなど、母の手芸のものが入っていたものである。

こういうボタンって、捨てられないから取っておくけど、あまり使うことがない。
リボンや、端切れなど、山ほど。

「昔の女の人って、なんでも取っておくんだな。」


と感慨深くしていたのだが、そういえば、母がつい最近こういう余りものを使って工作した作品があったのを思い出した。
写真フォルダを探してみたら、2013年に撮ってあった。

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2013年のある日、リビングのテーブルの上に裁縫箱とこれ(タペストリー?)があったので、

「何これ?可愛いじゃん!」

と言ったら、照れながら母が
「うん、ちょっとね、面白いから作ってみた」

このざっくりさ。大胆さ。何の役に立つのかわからなさ。
私の原点が、ここにあるような気がする。


人に見せるつもりじゃなく作ったのに、
『私がブログに公表してると言ったら怒るだろうな・・・。』
と、思いながらこっそりアップしてみるのであった。







母の裁縫箱①レッカーリフースのキャンディー入れ Lackerli-Huus

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今日、母の裁縫箱を開けてみて、思いがけず変わったものを見つけた。

これはレッカーリフース(Lackerli-Huus)というスイスのお菓子屋さんのタブレット入れ。
たぶん、昭和30年代のものと思われる。


母の針箱は、なんだかわけ分らないモノがたくさん入っていて、
だいたい私が使うものは決まっているので、いつもは下の方まで見たことがない。

今日は、針箱の奥に小さな古い桐箱が見えて、なんだろう?と思って取り出して開けたところ、こんな可愛い缶が出てきたのである。

厚さ1センチ、5×7センチくらいの昔のブリキ缶だ。

「どしたの?これ」
と、母に尋ねると、

「あー、それはね、昔のものだよ」
私がまだ、すごく小さかった頃のものじゃないかな?という。

まったく、この家は掘り出し物が満載だ。
昭和のタイムカプセルじゃないかなと思う。

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レッカーリフース(Lackerli-Huus)は、100年以上続くスイスの老舗菓子店。
いまも、日本に輸入されているようだが、こんな缶はもうないだろう。

これは、やっぱりスイスの兵隊さんなのかなあ。
上官に命令されて、きをつけ!の姿勢の若い兵隊。

もう第二次大戦は終わった後だと思うのだが、お菓子の入れ物にこんな絵柄を採用する、というところに時代を感じてしまう。


「くにこ」というのは母の名前で、小さな千社札が貼ってあるところが笑える。






☆12月26日(土)から1月5日(火)まで、休業とさせて頂きます。


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オードパルファン  Yoru no Ume  50ml 12000円(税抜)

始まりはせつない甘さが妖艶にも香りますが、天然ローズを中心としたフローラルから、徐々に石鹸のような清潔な香りになっていきます。女性の2面性を持つミステリアスな香り。




茶箱(ちゃばこ)tea chest

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新しい茶箱(ちゃばこ)が来た。

茶箱とは、お茶の葉を保管しておくための木箱で、中にブリキや亜鉛などの金属が貼りめぐらされている。

湿気を防ぎ、防虫、防臭効果もあると言うことで、昔は大切な着物、衣装やお道具類をこの茶箱にいれてしまっていたものだ。

プラスチックケースができてから、重いこの茶箱はあまり使われなくなってしまったようである。


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私のお誕生のときに買ったお雛さまは、この古い茶箱に入れられていた。

ということで、正確な年数はあいまいにしておくが、半世紀(以上)前のものである。


今年、久しぶりに飾ろうと思い押入れからこの茶箱を出したところ、あまりの古さ、汚さに、母が新しい物を用意してくれたのである。


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昔はたくさんのサイズ・バリエーションがあったようだが、今はこの一番小さいサイズと、倍以上ある大きいものの2種類しかない。

「新しい茶箱が来たら、もう古いのは捨てようか」と言っていた母であるが、結局惜しくなってしばらくとっておくことになった。

なかなか荷物を減らすことは難しい。


この茶箱、お茶屋さんで、お茶を輸送、保管する目的の物。
野点(のだて)などで使う茶道具一式を収める携帯式の箱も「茶箱」というが、それではない。


おひなまつり、お供の子たち③三人官女 three court ladies ,Hinamatsuri

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官女中「あーやれやれ、ずっと立ってるのって疲れちゃうわ。いいわね、あんたたちは座ってられて」
官女左「ナニ言ってんの、お姐(ねえ)さんだって、夜に皆が帰った後で、おちゃんしてたでしょ」

官女右「ネエ、おちゃんって何?おちゃんって」
官女左「いやーね、昭和生まれのくせに、おちゃんも知らないなんて。お座りすることよ。」

官女右「そんなん初めて聞いた、記念のキ」



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官女中「あ~もう、あんたたち、ピーチクパーチク姦(かしま)しいったらありゃしない」

官女右「そういえば、かしまし娘っていたなあ・・・。人気あったケド。」
官女左「フフ、誰が言ったか知らないが、女三人寄ったら、かしましいとは愉快だね♪」


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官女中「これでおしまい三人官女!」
官女全員「それではみなさま、ご~き~げ~ん~よう~♪」



昭和の編み物 鈎針のパッチワーク

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これは、昭和の編み物、母が鉤針で編んだパッチワークである。

なんと、私の生まれる前からあった。
もう、作ってから半世紀以上経っているわけである。


これは兄たちのセーターや、いろいろな残り糸を使って少しずつ編みためたもの。
戦後、物のない時代だったので、古いものをほぐしてリサイクルしたのだと言う。
色もバラバラ。よく見ると途中で足りなくなったのか、模様の中で糸が変わっているパーツもある。

10センチ四方の小さな四角を編んで、縦横で15枚くらいづつ繋ぎ合わせた、大きな正方形の毛布のようなもの。

父の背広のお仕立てあまりの布地を、グレーや黒や紺の、これもまたパッチワークのようについで、裏に貼ってある。


私が小さい頃は、これはコタツ掛けになっていたのを覚えている。
今は冬になるとソファの隅にちょっと掛けてあったりするのだが、もうすっかり当たり前に景色になじんでしまい、存在すら忘れていた。

この正月に久しぶりにニットの帽子を編んでいたときに、ふと目が留まり、あらためてその由来を母に聞いてみたのである。

すると思いだしたように、母はお菓子の箱の中から5~6枚を繋いだものも出してきた。
なんでも、もう1周するには足りなかったから、小さな敷物を作ったのだそう。
その、60年前のものがすぐに出てきたりするから驚きである。
みすぼらしいけれども、いかにも昭和を感じさせる味わいの深さ。



暖かく快適な暮らし。
こんなに国が豊かになったことには感謝する。

ただ、今でこそ世の中は衣美食(ほういびしょく)を尽くしているけれども、私はこうしたものを見るたびに、ほんの少し前の日本が貧しくてつつましく暮らしていたことを思いだし、今の日本がまるで一流国のように振舞うことは恥ずかしいものであると思う。




クチナシの黄色い実 ガーデニア Gardenia jasminoides Ellis

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これはまた立派なクチナシの実、オレンジ色。

クチナシの実からは染料がとれる。
繊維を染めるだけでなく、食品にも使う天然の着色料。

昔々、お正月のきんとんを黄色に染めるのに母が使っていたのをあいまいに記憶している。
私はやったことはないけれども。。。

子供の頃は、食と季節感や歳時記を、キッチン(昔は台所と言ったものだ)で自然と学んだものである。
世の中の「おかあさん」が普通にやってきた教育ってたいしたものだと思う。

日本の心を育んだのは、「おかあさん」でしょう。


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漢方にも使う。日本薬局方にも収録されている生薬である。


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6月に咲く、白い一重のクチナシ(梔子)の花。
小ぶりで清楚だが、立派な実をつける。

花の中心にぐったりと横たわる六本の線は、役目を終えた雄しべ。




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八重は華やかでゆったりと美しい。
ガーデニアと呼んだほうが似合う、洋風な花のイメージだ。

けれど、雄しべは花びらに変化してしまったのだろうか、はたまた園芸品種の故(ゆえ)なのか、結実はしない。


香りを学び初めた頃は、ガーデニアの匂いって、ジャスミンにオブラートの匂いを混ぜたような香りだと覚えた。

いまどきオブラートの匂いなんてわかるかなあ。

石油ストーブのにおい oilstove

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石油ストーブの上でやかんがしゅんしゅん言っている。

暖かい。

 

電気を使わない昔ながらの石油ストーブ。久しぶりだな~。


川口の方へ和紙の工房へ出かけたこの日、昔ながらのお蕎麦屋さんでお昼をとった。
このやかんのへこみ具合がなんともいい感じだ。

メニューを見ているうちに、なべ焼うどんを食べたくなってしまった。
これも、何十年ぶりに食べる気がする。

 

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この2週間前、青山のカフェでも石油ストーブを見た。
やっぱりこっちの方が少し今風なのかな。
電気を使うタイプかもしれない。
 

エアコンが普及して、こういうストーブはあまり見なくなったが、やっぱり火の暖かさはちょっと違う。
それに燃えるときに水蒸気を出すせいか、部屋の空気に適度な湿り気がある感じがする。 

 

石油ストーブは、火をつけたばかりの時、オイリーで少し甘い灯油のにおいがする。
これは不快臭といってもいいのかもしれないけれど、どこか懐かしさがあって郷愁を誘われる。
つけ始めが特に強い。
しばらくすると匂いは弱くなる。

 

だいぶ前になるが、一時住んでいた家の隣はバレエ・スクールで、うちの勝手口から出るとそこは大きなダンススタジオの窓があった。
冬の午後、レッスンの始まるころに、裏へ通じる通路を歩くとこの灯油のにおいがしたものである。広いレッスン場を温めていたに違いない。

 

植物のタイムの香料をかぐと、いつもこのオイルストーブのにおいを思い出す。
すっきりした森林のような香りの裏に、甘くオイリーな灯油のにおいがあるのだ。

テルペンの・・・、油絵の具をとくテレピン油のにおいもする。

 

香水に限らなくて、特定の香りに出会うと、記憶が芋づる式に出てくる。時に大漁になるから面白い。脳の発育とボケの予防に関係あるゆえんである。

 

炭が赤くもえるときにも、匂いがする。
これはとてもいい匂いだと思う。

小さな茶室の炉に炭を入れ灰が温まると、パチッと炭のはぜる音とともに赤い熾火の匂いがする。

 

 

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NBAロゴ1978年

 130617高校時代.jpg

久しぶりに捻挫をした。数十年ぶりである。

今日はごく個人的な日記である。(まあいつもそうだけど)

 

先週土曜日の朝、人気のない新宿御苑の中を機嫌よく歩いていたところ、
歩道のマンホールの横に大きな段差があったのに気が付かず、あっと気がついた時は「ぐきっ」という音とともに倒れていた。

 

― うーむ、起き上がれない・・・。
― 思ったより事態は深刻なようだ。
― しかし遠くから人がこっちに歩いてくるのがちらっとみえる。
― これは恥ずかしい。いかにもトロイ・・・。
― 早く起きなければ・・・。

 

短い間に考えが頭の中をぐるぐるとまわる。


衝撃からどのくらいたっていたのだろう?
ゆっくりと半身を起こしあたりを見回す。


帽子が遠くにすっとんでいる。
なにげなさを装いながら立ちあがり、帽子をひろって被っているうちに、横を若い女性がなにごともなく通りすぎていった。

― 見ないふりをしてくれたのかな。
― 労(いた)わられても照れくさいものだし。

 

ちょっと足首がブラブラするが、骨が折れたようではないのでアトリエまではなんとかいけそうだ。
こうなると距離があるが新宿御苑の中ではタクシーを呼べるわけでもない。

片足だけ引きずると、反対側に負担がかかるので、能の歩き方のように(またはアシモ君のように)しずしずと歩いて戻った。

帰り道、

― あーあ、あの時分かれ道でバラ園のほうに行っていたら、転ばなかったのに・・・
― あの暗い池沿いの道から、橋のほうに出たとき一瞬まぶしかったからなあ・・・


これは腫(は)れそうだ、と思ったときに後悔がよぎる。


 130620夏椿3.jpg

新宿御苑に入ってから、ひとつも写真を撮る前に転んでしまったので、帰り道に見つけたナツツバキをとりあえず撮影。

これはにおいがあまりない。
ナツツバキは一日で花は落ちてしまうから、まだきれいなまま苔の上に散っているさまがとてもきれいだ。


って、道草を喰っている場合じゃないのだ。
一刻も早く戻って「冷やし、圧迫し、高く上げ」ないと悪化してしまう。

しかしこの時になって、「よくカメラを壊さなかったものだ」と吾ながら感心。

長袖を来ていたとはいえ、手やひじは全くケガをしていないのは幸いであった。




久しぶりの捻挫(ねんざ)からいろいろ思い出すものがあった。


高校・大学時代は練習で、しばしば捻挫をしていたものである。


中学の頃は、捻挫をすると練習が休める上、ちょっと大事にされたりしたものだが、
1970年代アメリカからプロバスNBAの情報や最新のトレーナー技術が入ってきてからというもの、
けがをしたからと言って休めるわけでもなく、体育館のすみでアイシングとテーピングをして即、試合に復帰しなければならない。


痛い分、損。


懐かしく思い出しながら、新宿御苑から戻ってすぐに流水で冷やす。


もとバイトのT君(彼もバスケット部)に電話をして、テーピング用のテープを買ってきてもらう。


何十年ぶりに見るのだが、受け取ってみると当時のテープ類とまったく変わっていない。

しかし彼はテープだけ置くと、無情にもそのまま練習に行ってしまったので、仕方なく自分でテーピングをする。


久しぶりなのでちょっと手間取ってしまう。

 

130617テーピング.jpg

あとは足を上げたままにして、血が下りてこないようにすれば腫れなくていいのだが、仕事があるのでそうもいかず、ついアトリエ内を歩いてしまう。

だんだんズキズキがひどくなってきて、ちょっと冷や汗も出てきたけど・・・。


健康な時、思いのほかアトリエ内を歩きまわっていることに改めて気付いた。


健康ってありがたいな。



と言っているまに1週間。
足はもう大丈夫なので書いてみた。

 

さて、トップの写真は大学時代の合宿中のシーン。


当時の私は男の子みたいなショートカットで、むかって右隣は今も親友のひとり。
「ねえねえ、顔の写真出してもいいかなあ?」と聞いたら、
「どうせ今と全然違うし、誰もわかんないだろうからいいよ」ということでツーショットである。


感慨深い。私が来ている星☆のトレーナーは、NBAのどこのロゴだったんだろう?

 

 

ナツツバキ 娑羅樹(シャラノキ) Stewartia pseudocamellia Maxim.

130620夏椿2.jpg

ナツツバキは夏の始まりに咲く爽やかで清楚な花。

ツバキという名がついているが、葉は柔らかく落葉する。
ツバキのようにチャドクガがつかないと聞く。

庭木によし。

母の華道② Ikebana international  昭和

130509さとり4歳.jpg

前回の「母の華道①」からずいぶん経ってしまった。


つづきであるが、母はこうしたわけでいろいろと社交に忙しく、私は家にとりのこされたこととも多い。

そっと出ていく母の背中を廊下で見つけ、追いかけ、玄関をはさんで親子で扉を押したり引いたり。

ついに根負けして手を離し、わーっと泣き出すと、サンダルを駆って走っていく母の足音が・・。
ようやく外に出てみると母の背中が遠ざかり小さくなっていく。サザエさんのシーンのようである。

泣いていると留守中は近所のおばさんが家に呼んで面倒を見てくれた。
子供一人を残して出かけられる、のどかな時代であった。

そんな母も、実家から父(私の祖父)が来たときに、私が一人で家にいるのを見つけられてあとで叱られたそうだ。

上は私が4歳くらいの時の写真。
母は30代後半で、今だったらまだ遊びたい盛りの歳だ。

母の華道① Ikebana international 昭和

130415母の生け花.jpg

この古い写真は昭和36年ころだと思われる。
水盤には母の活けたアイリスの花。(ペコちゃんのような顔の私)

昔の女学校は、お茶お花、裁縫は授業の正科だったから、母はごく普通にいけばなはできたし、
嫁ぎ先の姑(しうとめ)が華道の先生がったから、さらにお花を習得するのはしごく当然のことであったろう。

祖母なきあと、自由になった母は相当な有閑マダムになっていくのである。
いろんな社交に精を出していたが、中でも熱心だったのがお花の会である。

華道教本 天保十四年 Ikebana 1843

130330華道教本天保十四年2.jpg

昨日からの続き  そして引っ越しの際、茶箱の中から古い風呂敷に包まれた書類一式が出て来た。
代々女系(にょけい)の家にようやく生まれた男子である父であるから、大澤家、近藤家、末永家など祖先の書きつけが集まったものらしい。黒田家へ養子に行ったり来たり昔のこととて入り組んでいるようである。

古井風呂敷の中の文書は、汚くてとてもさわる気になれなかったのを手袋をはめて静かにはがしてみると、数冊の花の教本が出て来た。

活け方のデザイン画集のようなものもある。

母曰く、
「お義母さんは花の達人だった、庭からちょっと枝を切ってきて活けるとそれはそれは素晴らしい出来栄えだった」
というので、祖母の手によるものかと思ったが、一番最後のページに書いてある為書の年号をみると

「天保14蕟卯三月十四日」(1843年)となっているので、もっと古い人のもののようだ。

私の母が父や義母に昔聞いたことを、また私が聞いたことなので不明な点も多い。

昭和初期の花嫁衣装 showa

130328両親.jpg

昨日からの続きだが、そんなわけで昭和24年、両親は結婚したのである。

髪の結い方こそ今と同じ高島田であるが、昭和20年代までの花嫁衣装は、白無垢ではなく黒の引き振袖であった。

着物の裾(すそ)と袖(そで)の下の方に中心に柄が描かれている。

結婚後、この長い袖を短くする(袖を留める)と留袖(とめそで)になり、既婚女性の第一礼装としてそのまま着ることができる。

戦後の物資のない時代から復興につれて徐々に着物も派手になり、肩のあたりまで柄が及ぶようになった。

本来、留袖の柄は裾のみなので、母の花嫁衣装がその後も留袖として使われたかはわかならい。

 

母は小柄で丸顔の可愛い感じの人だが、父は背が高く白皙の美青年だった。

 

つづく・・・かもしれない。

 

 

 

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昭和の学生ファッション 母の肖像 portrait

130316クニコ.jpg

前回の続きであるが、昭和20年頃、これは母の大学時代の写真である。
先日の引越しのその折、たくさんの古い写真が出て来たので、スキャナーでとっているうちに載せてみる気になった。

母は東京の昭和薬専(現:昭和薬大)を卒業して、国鉄病院に入りそこで父と会った。
私は父親似であるので、母の若いころとはあまり似ていない。

 

昭和の子供ファッション  SHOWA

子供ファッション.jpg

 

先日、母が長く住み慣れた千代田区麹町の実家の引越しをした。

その折に、古い写真などが大量に出てきたのである。

母はこの引越しを機会に、「自分の昔の写真は死ぬ前に全部捨てる」と言ってアルバムを大量に整理していたのだが、母の若いころなど、もったいなくて少し剥がしてもらったりした。


何度かの引越しでだいぶなくなってしまったが、私の小さい頃の写真もあり、当時の家の様子や暮らしぶりなどを思い出して懐かしい。

これはおそらく昭和三十年代後半であろう。
これを見た友人が、「さとりちゃんちっとも変ってないし」と言ったが、三つ子の魂百まで。

私はまさに大人の皮をかぶった子供である。

南向きの座敷とリビングに挟まれたテラスでよく遊んでいた。
テラスの石の間に巣を作るありんこにメロンパンを小さくちぎってよくあげたのを覚えている。

ちなみにうしろに見える障子には、赤チンで盛大にいたずら書きをして、部屋をかこむ3面すべて障子の張替をさせることになった。

なぜそのようなことをしたくなるのかはいつも謎なのだが、、、

母の鬼のような顔を見て「まずい」と思い「逃げよう」としても、必ずつかまり小脇に抱えられ、お尻を剝(む)かれて百叩きの成敗にあったものである。

その母も88歳、歩くときは私が抱えるほうになってしまった。

でも生きている限り頭が上がらない。

 

 

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タケノコご飯 筍 bamboo shoot

タケノコご飯.jpg

この季節になると恋しくなって、ランチにデパ地下でタケノコご飯を購入。

「儀式」ってこんな味かも・・・。出来合いの筍ごはんはアクもなければ香りもない。
 

思い出すのは子供の時分。
春になるとどこからかタケノコが届いて、母がご飯に炊いてくれた。
大きな鍋に水をはり糠(ぬか)をたっぷりと入れて、太い筍をぐらぐらとゆでる。

昭和のひなまつり Hina-matsuri Girls day

130303ひなまつり.jpg

昭和の初め、私の母の雛祭(ひなまつり)。
母のアルバムから、すごく古い写真が出てきた。

 

終バスに乗って  the last bus

120911終バスに乗って.jpg

終バスに乗って家に帰った、それはまだ昭和の話。

(この写真は「バス」というだけで、この話とは関係ないのだが・・・。)


どこの帰りだったか忘れてしまったが、母に手をひかれ、暗い道のバス停で路線バスを待っていた。

反対側の車線を、逆の目的地を目指す都バスが通る。


バスの正面、運転席の上には終点の駅名が書かれており、そこが緑色に光っている。

「ホラあれは、緑だから終バスからひとつ前のバス。最後のバスはサインが赤いのよ」

母が言う。

関東大震災 祖父の写真 kanto-dai-shinsai

120401関東大震災1.jpg

最近メディアで、今後起きるであろう大震災の情報を盛んに流している。

 

家の物置の荷物を整理していたら、昔のアルバムが出てきた。
1923年に関東大震災が起きた、その直後に撮った写真のようだ。
祖父は明治生まれで、当時大学を出るかでないかの年だったろうと思う。

20年ぶりに出してみましたお雛様②三上戸と五人囃子

120221泣き上戸.jpg

小さいときは泣き虫で、いつも兄にからかわれては怒り泣き。
泣きそうになるたびに「泣き上戸になっちゃうぞ~」と脅かされていた。

でも、この泣き上戸くんは可愛いし、別に脅しになってないな。

20年ぶりに出してみましたお雛(ひな)様①

120219ひな人形お内裏様.jpg

今朝、突然、おひな様のことを思いだして、出してみることにした。

小さい頃は毎年、母が出してくれていたのだが、このところずっとしまいっぱなし。
本当は、おひなさまは毎年飾ってあげないといけないのだが。

 

お蚕(かいこ)さん②飼育

  1202016新幹線.jpg

カイコの飼育実習。


小学校では理科の授業で、中学では生物の実習だった。
高校の時もやったような気がする。(※これは後日、同級生からやったことがないと言われたので記憶違いかもしれない。)


家に持ち帰ると嫌がられるからと、ロッカーで飼っていた子もいた。

 

お蚕(かいこ)さん①シルク

1202015ユリ.jpg

アルバイトのT君はスポーツマンだがワイルドではない。

 

ある日、サロンに飾ってあるユリの蕊についた「やく」をピンセットでとってもらった。
蕊の先についている、茶色くてポワポワした部分だ。

 

みぞれの朝

120121みぞれ.jpg

 

朝早く、まだ薄暗い中で目が覚めた。

昨日から降り続いた雪がみぞれまじりの雨となったことは、ぴしゃぴしゃという少し大きく、そして間延びした音でわかる。

久しぶりの休日の朝、なんとなくぐずぐずベッドの中にいて、覚めきらぬ意識の中を漂流している。

 

夏の野道 道草の想い出

  110727夏の野道.jpg

夏、暑い陽盛りの道を歩く。こうした草の生えた土の道もずいぶん減ってしまった。

よいこの迷子札

110126迷子札3.jpg

おおー、迷子になってもだれかに連れて帰ってもらえるように、首から下げていた札だ。

チロリン村とクルミの木  コンキリプー

| コメント(2)

100825とらんぷコンキリプー.jpg

 

NHK「ひょっこりひょうたん島」の前の人形劇は、「チロリン村とくるみの木」だった。



これは、幼稚園の時に買ってもらった紙製のトランプで、「コンキリプー」というキャラクターだ。

・・・と思っていたのだが、いろいろネットで調べたがコンキリプーという子が登場人物にいないみたいだし、画像も残っていない。

チロリン村とクルミの木、確かにピーナッツのキャラクターはいるみたいだ。

3つくらいの頃だったからなにか思い違いをしていたのかも。
カッパだったのかなー。

かわいくて大好きだったのに、今あらためて見るとちょっとヘンかも。
目がぐりぐりして活発で、自分の小さい頃もこんなだった様な気もする。

 

時々昔の庭について書いている、古い郊外の家をかたずけに行ったら、いくつか懐かしいものを発見した、その中のひとつ。

なにしろ、歳はいいたくないが四十ウン年前のものだから。
良く残っていたな―と嬉しかった。

私は割に物もちがよくて、このトランプ、高校生くらいまでは使っていた記憶がある。

ある日、泊まりにに来た友達と夜中に占いをしていて、ダイヤの10が無くなってしまった。
どこを探してもない。カードの意味は何か、やきもち焼きのお金持ちの女性とかで・・・。


何か忘れたが、その晩ある出来事があった後、同じトランプの中からひょっこりダイヤの10が出てきて、代わりに他のカードが一枚無くなっていた。

「身代わりになったんだ」とか言って友達と一緒に怖がってたんだけど、今見るとこのトランプ、とてもくっつきやすく、きっと何かのカードにぴったり重なっていたのかなと思う。

 

誰か、このキャラクターが何なのか教えてください~!

 


➤後日、これは河童のコン吉と教えてくれた方がいた。

小学校の夏休み 

| コメント(2)

100810バッタ.jpg

夏休みも、まだ8月10日くらいだとちょうど半分くらい。
ちょっと余裕がある。


「そろそろ、宿題やらないと~」などと思いながら、日々朝寝坊をし、ソーメンなんか食べちゃって、だらだらと昼を過ごし、午後はクーラーのきいた応接室で漫画をよんで、夕方の時代劇アワーなどを見ちゃったりすると、一日がほぼ終わってしまう。

心の片隅に、ちょっとだけ気がかり・・・・な、あの、算数ドリル。一日1枚やっておけば、今頃は半分終わっているはず。

漢字の書き取り。あれも、まだ最初の2-3ページだっけ・・・。でも、「一日2枚づつやれば、31日には間に合うもんね」

一日1枚もできないのに、どうして2枚づつできるんだ?って、ことは、とりあえず今は思わない。

 

絵日記。

うちの小学校は、作文にとっても力を入れていて、毎日絵日記を書かなければならない。だって、そんなにドラマチックな日々を過ごしていないのに?どうやって、何を描けばいいの?

 

ブログはいい。強制されないし、何を書いても自由。

昨日は食べ物のことを書き、今日は花のことを書き、書きたくなければ書かなくてもいい。

けど書く。

本は好きでも、読書感想文は嫌いだった。・・・のに、今では誰にも望まれているわけでもないのに、書いている。

不思議だ。

でもときどき、私はたった一人孤島にいて、だれもいないかもしれない宇宙に向かって信号を送っているような、頼りない気持ちになってしまう。

 

今の子は、宿題ってあるのかな?毎年この時期になると、思う。
塾なんかいったりして、きっと大変なんだろうなあ。

 

 去年の夏休み あさがお 2009/8/

 

いちごの香り 苺、イチゴ

090502いちご.jpg

昔は5月がイチゴの季節だった。最近のは甘くて、あんまり酸っぱくない。

今では、ハウスはそろそろ終わりかな。

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