
そんな風に思っていってみると、黄色い花火のような花がこんもりと咲いている。
初めてみるけど、いかにも南国の花のようだ。
マダガスカルが原産で、日本では沖縄や石垣島でみれるそうだ。
こちらはキョウチクトウ科だから植物としては遠いけれども。

春の妖精に対して秋の妖精、オータムエフェメラル(autumn ephemeral)。
そんな言葉があるのかしら?
春夏秋冬、現れては消えていく花の妖精たち。
妖精を捕まえることはできない。
ただできるだけ長くそばにいてもらいたいと願うだけ。
美しい四季の移り変わりを見ていると、私たちは何ひとつ所有することはできないんじゃないかなと思う。
たとえ、一輪の花をテーブルにおいて、あるいは庭に花を植えて愛でたとしても、永遠にとどめることはできず、その移ろいを記憶に残すのみ。
ただ繰り返す季節のために、彼女たちに再び会えるよう、邪魔しないという形で、ほんの少し自然に関与できるかもしれない。
感謝と謙虚さをもって。
秋晴れの、こんな素晴らしい日に、ひとりで広い公園でぼんやり風の音を聞いていると、いろんな音が聞こえてくるし、音(おと)は、たくさんあるけれど、聞こうとしなければ聞こえないものだって、あらためて思う。
木の名札を読んで「カジノキ」とあった時、ふとこの葉を使った手前(てまえ)を思いだした。
梶の木の葉は、切れこみが無く卵形のこともあるし、葉が裂けて3つになったり、かしわもちを包む葉の様に5つに分かれることもある。
このカジノキの大きな葉は、茶道の夏の薄茶席で、水指の蓋に使うことがある。
昔、娘時代に通っていた茶道の先生のお庭はちょっとした広さがあり、お茶で使う茶花などさまざまな植物が植えられていた。
七夕の時期、夏の暑い日に、「今日は葉蓋を使いましょう」といって、庭から切ったばかりの梶の葉を、お水屋の鉢の中に数葉つけてあって、涼しげだったのを覚えている。
水指の上に蓋の代わりに梶の葉を置いて、風炉のそばに運ぶ。
お手前の中で、葉蓋は開けたら折りたたんで建水に捨ててしまう。
葉蓋を右手で取り、縦二つに折り、茎が左に向くように横にむけて、三つか四つに小さく折りたたみ、折った葉にちょっと穴を開け茎の端を差しこんでとめ、建水の中に伏せて入れる。
この葉は、一回のお手前で一枚使ってしまうので、お稽古の人数分が必要である。
古来この梶の木の葉には、短冊の代わりにして和歌を書いていたそうである。
もともと、コウゾの仲間で紙の原料にもなるから不思議ではない(んじゃないかな)。
冷泉家では特に、七夕にこの葉を用いて歌を書く行事がある。
そんなことから葉蓋の手前をこの時期に行なうのかもしれない。
お茶の先生には、お手前のおりおり由来を聞いたはずなのだが、忘れてしまったことの方が多い。
シーンだけが切り取られて記憶の中に留まっているばかり。
At midnight, lying on the bed, I hear the sound of the sea.
I get up, step out on the balcony and the sea breeze
blows up along with the heat from daytime. I gaze into the dark sea.
The noise during the daytime is all gone. In the ocean, lights of ships are floating
on the surface. The lights slowly drift away and get swallowed up in the
darkness.
In ancient times, people must have believed that the
ships had fallen off the edge of the earth.
Where can we find the border between the sea and the
sky?
The distance to the horizon that is visible to the naked eye is said to be only 4 or 5 kilometers.
It's only a small part of the whole that we believed to be the edge of the world.
The horizon flies when we pursues, and we can never go to the edge.
The earth floats in space, so the border
between the sea and the sky would be the sea itself.
カジノキ(梶の木)のオレンジ色の実がなっている。
はじめは花に見えたのだけれど、春先にもこの木には花が咲いていたはずなので、形の異なる花がまた咲くとは不思議なことだと思った。
調べて見るとこれは花ではなく果実で、このオレンジのつき出た柔らかい部分の中に種子が入っているそうだ。
実は今朝、新宿御苑に行ったところ、連休の代りで休園日となっていた。がっかり。
そこで、今月はじめに行った時のことを書くことにした。
地面や、橋の上にたくさん落ちている。
雨の後なので、べっちょりとしてちょっと触る気になれなかったのだけれど、落ちたばかりの比較的きれいめのものをつまんでにおいを嗅いで見る。
ビターチョコレートの匂いがする。
意外な匂いにびっくりだが、2度拾って嗅ぎ直す気になれず、充分に確認できなかった。
また機会があったらにおってみたいものである。
こちらは5月のカジノキの花。
でもどっちかといえば、オレンジの実の方が花らしく見える。
みつまた、コウゾ、などと、紙の原料になる。
papyrifera、という学名も、紙を意味するのだと思う。
キンモクセイの香り☆オードパルファン「SONNET(ソネット)」
トップはマンダリンのシトラスと、クラリセージのティーノートから爽やかに始まります。そして甘い桃のようなオスマンサス(キンモクセイ)の香りは、やわらかいフローラルの広がりに、やがて、木の暖かいラストノートへと移ろっていきます。
晴れた秋の朝、ツクツクと遠く近く、蝉が鳴く。
耳をすませば、秋虫の音に重なって、たくさんのドングリが、コツンコツンとひっきりなしに落ちてくる。
人が人を取り戻す。
箱の中では、私は生きていない。
息をして動いていても、それは生きているのとは違う。
一人でいたら寂しくなるし、一人になれなければ息苦しい。
そんなわがままな自分を、静かな公園のベンチで、みつめている。
マテバシイ馬刀葉椎・全手葉椎
プラタナスの下に立って目をつぶると、
風の音が、
私をアルディッシュに連れて行ってくれる。
真の闇の中で、
朝まで夢を見ないで眠りたい。
Standing under the Platanus trees with my eyes closed,
the sound of the wind takes me to Ardèche.
I want to sleep until the morning with no deams,
in the sheer darkness.
秋の始まりはセンチメンタル。
愛の分岐点は、それが死んだら悲しいか、どうか。
外国の豊満な女性にふさわしい香水を日本女性がつけると、もともと我々が持っている清楚(せいそ)な美しさが、逆に貧相に感じられてしまうように思う。
萩を見ると、そんな気がする。
ツルボに会いたい。
朝のうちにひと仕事を終えて、イソイソとアトリエを出る。
新宿御苑の九時の開苑時間にちょうどついた。
もう、ここは自分の庭のごとく熟知しているつもりだが、「どういうルートで行こうかな?」と考えながら案内板を見る。
ツルボは一番奥の、プラタナス並木の下に咲くのでちょっと遠い。
短い時間で中央あたりのキンモクセイ、はじっこのツルボと見て、折り返し最後に日本庭園のヒガンバナを見るルートをとることにする。
ほぼ、縦断する感じだ。
フランス式庭園のプラタナス並木。
ツルボは少しまばらな感じで生えている。
色がうすく、少し元気が無いようだ。
小さな花びらをひろげ、いっぱいに伸ばした蘂(しべ)が、赤ちゃんの手のようでいじらしい感じが好き。
並木を一往復しながら足元のツルボを見て、次はヒガンバナを見るためにすぐにそこを離れる。
あらやだ、通りかかった「中央休憩所」の前に群生している。
ここはキンモクセイからほど近く。
あんな遠くまで行かなくてもよかったのに・・・。
でも、ここのツルボはピンクが濃い。
日当たりがよいせいかしら。
時々においをかぐ。写真を撮る。
ズーム、ピント、開放値、よくわからないなりに、可愛いと思って撮ると、可愛くとれるんじゃないかなと思う。
そんな考えは論理的じゃないけど、そもそも、愛って論理的じゃないでしょ?
ヒヤシンスのような、ハニーグリーンの香り。
後で調べたら、ツルボはユリ科のシラーの仲間だと思っていたら、キジカクシ科だと書いてあるものもある。
キジカクシ科なんてなじみの無い科だけれど、アスパラガスに近いようだ。
学名も違うし、どっちが正しいのかな・・・?
日時:9月13日(日)13:30~15:00(鑑賞会)
その後 16:00まで お茶会
費用:一般5000円(税別)
パルファン サトリ フレグランススクールの「ランチパーティ夏」が、2015年8月30日(日)、御苑チャペルにて行なわれました。
パルファンサトリのパーティは、冬は「フレグランス デザイン コンテスト」の授賞式、夏は「フレグランス コラージュ コンテスト」の授賞式があり、年に2回行なわれます。
ささやかながら今回で5回目となりました。
入ってまもない生徒さんや、通信の方も遠方からお見えになり、さらに2000年にパルファンサトリがお教室を始めたばかりの、第一世代のOBの方までおいでいただき、にぎやかに交流を深めます。
式は2015年「フレグランス ラージュコンテスト」の優勝作品の授賞式、春夏の卒業生作品の展示と修了証の授与、そのほか香水鑑賞会など滞りなく行なわれました。
もちろん、楽しいランチパーティタイムも。
夏の「フレグランス コラージュ コンテスト」では、前年の冬に発表された「フレグランス・オブ・ザ・イヤー」をテーマとして、その香りのプレゼンのためのコラージュを作ります。
どのコラージュ作品が、もっとも香りのイメージを表現しているかを競う、年越しのイベント。
このフレグランス・コラージュコンテストは、双方の視点を持つことで、フレグランスの世界全体を感じて頂けるのではないかと期待して、ソムリエ科、フレグランスデザイン科の両方から参加して頂いています。
スクールでは、これにより、香りを作る「フレグランスデザイン科」と香りを表現する「香水ソムリエ科」の学びがつながると考えています。
2014年のフレグランステーマは「静」。
昨年のグランプリ作品の「青と青が争う」というサブタイトルにふさわしい、ブルーを基調にしたシャープで冷たさを感じさせる「FDS YUKO」さんのコラージュが優勝しました。
また、お食事の後は最近のパリのトレンドなどをお話しながら、香水鑑賞会も。
グリーンタイプとウッディタイプなど、日本未発売のブランドも取り混ぜて鑑賞しました。
乾杯は季節限定販売の、一ノ倉さんの「幸せの黄色いすず音」。
シャンパンのように瓶内発酵させたシュワっと飲みやすい日本酒です。
今年の12月には第三回「フレグランス デザイン コンテスト」のグランプリ発表があります。
そして翌年はまた、グランプリの香りをみんなでコラージュするという年間スケジュールで、まわってまいります。
多くの方に支えられて、ここまで成長いたしました。
さらに精進いたしますので、これからも応援どうぞ宜しくお願いします。
では、次のご報告をどうぞお待ち下さい!