新宿御苑のバラ園。
きれいに刈り取られている。
この、剪定後に出てくるシュート、新しい芽が伸びて花が咲く。
赤や黄色の枝葉がきれいだ。
あと半月くらいで、この枝先に美しいバラが咲き誇るだろう。
楽しみ楽しみ、会いに行って来よう。
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新宿御苑のバラ園。
きれいに刈り取られている。
この、剪定後に出てくるシュート、新しい芽が伸びて花が咲く。
赤や黄色の枝葉がきれいだ。
あと半月くらいで、この枝先に美しいバラが咲き誇るだろう。
楽しみ楽しみ、会いに行って来よう。
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25ans ヴァンサンカン11月号「いつも心に姫マインドを!プリンセス美容」 特集に、
パルファンサトリの「プチトリアノン」が紹介されました☆
「いつも心に姫マインドを!プリンセス美容」 特集357P
「姫」になれるコスメ図鑑
<姫ヒストリーな伝説を持つプリンセスなフレグランスを香らせて>
No.410 2013年9月28日発売 25ans ヴァンサンカン11月号
ヒガンバナ、白花種
赤い花はもう終わりかけている。
➤香水をお探しの方へ パルファンサトリのオリジナルコレクションをタイプ別にご紹介しています。
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葛籠(つづら)。ずっとクローゼットの中にあったのでまだ新しくみえるが、私が20歳の時に作ってもらったものなのでもう結構古い。
「舌きり雀」の中で、雀のお宿からおじいさんとおばあさんがしょってくるのがこの葛籠。
この物語の時代の葛籠は葛籠藤(つづらふじ)を編んだ簡素なものだったであろうが、のちに幅の揃った竹で組まれ柿渋が塗られ、さらに漆が重ねられた。
内側には和紙が張ってあり、外は黒い漆、家紋が入っている。大きいがとても軽い。通気性がよく衣装を保管したり運ぶのに適している。
引き出しのほうが便利なので、普通の着物は桐の箪笥にしまっているが、ここには普段あまり着ない正装を入れている。
20歳のころは大振袖だったが、今入っているのは留袖だ。
隔世の感あり。
ラッパを吹くのはガブリエラかな。
7人の天使か。ルーブル。
お月さんのように大きなクリの入った栗ごはん、これは新宿高島屋の「心亭」のおにぎり。
そういえば今日は中秋の名月だったっけ。
お月見には栗がつきものだ。
昔、母が炊いてくれた季節季節の混ぜご飯。
たけのこごはん、豆ごはん、松茸ごはん、栗ごはん。
ご飯に混ざった食材の、それぞれの香りとちょっと香ばしいお醤油の匂い。
栗ごはんは年に一回くらいだったから、私の中では一番希少性があった。
今思うと、皮をむくのが大変だったからに違いない。
自分ではやらない。
大粒のゆでた栗を包丁で二つに割って、さじですくって食べたりするほうが簡単だ。
ゆで栗の匂いにはデンプン質のぽくぽくと粉っぽくキラッとしたところがあって、渋皮のちょっと青臭いアニマルウッディ感もあると思う。
栗に含まれるメチオナールという香り成分は、醤油(を薄めた)様ともイモ様(よう)の匂いともいわれている。
同じ成分が麹(こうじ)やサツマイモにもあるようだ。
焼き芋屋さんの引く屋台に、「くり(九里)より(四里)うまい十三里」と書いてあったのを覚えている。
甘さではサツマイモに負けるが、栗は微妙に甘いところがいい。
➤オードパルファン ワサンボン☆
キラキラとした微細な輝きに覆われて、口にふくむと淡雪のようにふわりととろける...
そんな極上の砂糖菓子をイメージしました。
低気圧というのは体がだるくなり、眠く、かつおなかがすくようだ。
いつもよりたくさんの食料を買い(なぜか台風の前はつい買いすぎてしまう不思議な心理)、この連休に家で一気に仕事の遅れを取り戻そうと考えていたのであるが、連日の睡眠不足に加え台風の低気圧のせいか眠くてたまらず、今朝はさっぱり起き上がる気になれない。
夜明けごろ風雨が強まった気配である。
いつもより3時間も寝坊して朝食をとった後、どうもだるくてちょっと横になる。
テレビでは台風速報が流れている。
常には見ないテレビも、こんな心せわしい日は意味もなくつけてしまう。
先般よりキンドルを持って移動中の車中でポツポツ読んでいるうちに、寺田寅彦先生の書に、夏目漱石氏との交流について書かれている文をみつけた。
寺田寅彦随筆集の「夏目漱石先生の追憶」という中に、「吾輩は猫である」に「水島寒月」という書生で登場していることが書かれていある。そこで久しぶりにこの「・・・猫である」を読んでみようと、これもまたキンドルに入れておいたものである。
ところで、ちょっと横になった時にキンドルは片手で持ちやすい。画面の下が少し広くなって親指で支えやすく、重さもちょうどよい。(依頼されたわけではないが、うまい宣伝文句だ。)
横になったついでにそのキンドルを開く。学生のころの課題図書として何度も読んだこの「吾輩は猫である」、こんなときにはよく知っている本のほうが気が張らないでよい。
あってもなくても気が付かないバックグラウンドミュージックのごとくリラックスして読める。10ページほどしたところで眠くなった。いつの間にか眠っていた。
夢の中で小説のつづきを見た。明治の風俗を着た人々が笑いさざめきながら部屋の中に出たり入ったりしている。
つけたままにしたテレビの音が夢の中に入ってきたのかもしれない。
目が覚めると同時に夢の細かいディティールはすっかり忘れてしまった。
のどが渇いてキッチンにいきお茶を飲み、おやつを食べたところでまただるくなって横になる。
いったん止んでいた風雨が昼頃に再び強まり始める。
なんとなく続きが楽しみでまた読み始める。思いのほか面白い。こんどは10ページ以上読んだかと思う。眠くなるところをもうちょっとがんばってみたがいつの間にか眠っている。また夢を見る。
起きてはボーっとしながら軽食を取り、また本を読みながら眠って・・・を幾度となく繰り返す。こんな風に祭日を過ごすのはいったいどのくらいぶりだか忘れた。
「吾輩は猫である」はあまりにも有名だし、よく知っている気になっていたが、数十年ぶりに読んでみると「え、こんな内容だったっけ?」ときれいさっぱり忘れていた。
100年以上前に書かれているにもかかわらずまったく古臭くなく、非常に新鮮である。
もちろん明治のこととて男尊女卑や差別的表現が随所にあり、古典だから許されることではある。
しかしベーシックに流れている人間社会の悲喜こもごも、は現代と一つも変わっていないように思われる。
全編にあふれるペーソスを交えたユーモア。「太平の逸民」の章は特に面白い。
超俗でありたいと俗骨を軽蔑しながらも、煩悩を捨てきれない「吾輩」のご主人、珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)に共感する。また、次々と出てくる登場人物ひとりひとりが魅力的である。
そもそも寺田先生の随筆を読んだだけでもその人柄はよくわかるけれど、
漱石先生お気に入りだったという若き書生の寺田寅彦がモデルとなった「寒月」氏も篤実な人柄で、漱石先生の目から見た寺田像とほぼブレがないように思われる。
固いようで洒脱、そして文学と科学の横断的な発想。そんな弟子を輩出できるというのも漱石先生の大きさあってのことだろう。
中谷宇吉郎「雪」の随筆から入り、その師の寺田寅彦にさかのぼり、さらに「吾輩・・・」を再び読んだ時にその柔軟な思考の系譜が夏目漱石につながっていることを理解できたのである。
昼過ぎには雨風はやみ、台風が去ると同時に体の上に載っていた重しが軽くなり、夕方からだんだん体が目覚めてきたようである。
本はまだ半分ほど残っているのでもうちょっと読みたい気もするが、もう休日はおしまい。
しかし明日からのスケジュールを考えると、再び重くなる。
明治の1日は小説と同じくらいのゆっくりのペースで 流れていたのだろう。胃弱にでもなって昼寝を日課とする英語教師、珍野苦沙弥先生がうらやましい気がしてきた。
➤香水をお探しの方へ パルファンサトリのオリジナルコレクションをタイプ別にご紹介しています。
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真鍮(しんちゅう)製の折尺(おりじゃく)、たたみものさしともいう。英語ではcarpenter's ruleというらしい。
これも、パリの蚤の市でもう店じまい直前に買ったもの。
2か所の露店で見たから、フランスでは珍しいものではないのかもしれない。
これがまた、物差しの細さと長さと薄さが絶妙の美しさ。
たたんだ時の厚みも手に収まりやすく持ちやすい。
真鍮のものってなんとなくいい雰囲気。
昔、木で出来ている折尺を見たことがある。
大工さんが持っていたと思うけど、もっと太くて大きかったと思う。
いいや、大工さんじゃなくて、建具屋さんだったかもしれない。
手の脂で飴色になった木の、それはそれでよかったような気もするけど。
真鍮製のはとても珍しいと思うのだが、日本にもあるのかなあ。
写真では触感やバランスが伝わりきらなくて残念。持ってみると本当にいい感じなのだ。
これは帰ってきてから磨いていない。
この前のハサミとは違って、使うのに研いだりする必要はないし、あんまりピカピカにすると安っぽくなってしまうから、これはこれでいいのである。
なんでもかんでも磨けばいいというものではない。
(アンティークはなんでもかんでも汚ければいいというものでもない)
機能を無視した「役に立たないものの美しさ」と、機能を追求した「道具の美しさ」は、対極にあるが美の双璧である。
▶パルファンサトリ "Nuage Rose(ニュアージュローズ・ばら色の雲)"
南仏コートダジュールの夕暮れどき、空のキャンバスいっぱいにバラ色とスミレ色が交差し、やわらかな雲の波間から海へと光が差し込む...そんな美しい情景を香りに託しました。
目を閉じて香りをまとうと、心にやさしい色と輝きがひろがり、新しい旅へと誘われる...。
ニュアージュローズは人生の喜びや美しさを情緒豊かに感じる女性のための香りです。
トップノートは「ラ・フランス(洋梨)」のとろけるフルーティをピンクペッパーコ-ンで引き締めています。続いて広がるバラとスミレのピンク色のアコードに、ジャスミン・アブソリュがさらにやわらかく調和します。
ラストはパウダリーなサンダルウッド。ふわふわのイリスを贅沢に使い、 軽やかに導きます。
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パルファンサトリの調香体験教室では、バラの香りを作ります。
『バラの香りは、「バラ」という一つの香りでできているわけではありません。たくさんの芳香物質(香りの成分)が合わさって、あのバラのにおいが出来ています。
ジャスミンも、オレンジも、ペパーミントも、天然の植物の香りは、全部そのように成り立っています。
たくさんの香りの成分は、同量づつ平均的に入っているのではなく、多いものから微量までいろいろです。その配合割合によって、特定の花らしさが出てきます。
体験講座では、このバラの香りを1/2オンスつくり、香水瓶に詰めてお持ち帰りいただきます。 きれいなギフトボックス入り。 受講料・教材費10500円 約90分 (要予約) パルファンサトリ 03-5787-7207 次回体験講座は9月14日(土)14:00~ パルファンサトリ 11Fアトリエ ☆要予約 お問い合わせメールまたは電話で。メールでのお申し込みにはご住所、お電話番号、お名前をお知らせください。 ☆定員になり次第締め切らせていただきます。 電話番号 03-5787-7207 お問い合わせメール https://parfum-satori.com/jp/contact/
つきくさに、ころもはすらむ、あさつゆに、ぬれてののちは、うつろひぬとも 万葉集
月草尓 衣者将揩 朝露尓 所沾而後者 徙去友
ずんぐりまるっこくて可愛いこのハサミ、変わった形をしている。
支点が先に偏っているし、刃の形が四角なんて、何を切るのだろう?
お店で聞いたら、シャンパンの栓を留めている針金を切るのだそうだ。
(露天商の言うことはあてにならないけど)
でも、なるほど太くて硬い針金を楽に切れるように先に力が入りやすくなっている。
なるほど~。
日本に帰ってきて実際にワイヤーを切ってみたらよく切れた。
ニッパーのようなものか。
間の丸い穴は何?と尋ねたところ
「この穴に葉巻を入れて先をカットするんだ」
うーん、葉巻を楽しみながらシャンパンを飲むのか?
シャンパンは食前で葉巻は食後の嗜みと思っていたが。
「まあ、一緒に使う必要もないんだし・・・。」
ちょこっと入った飾り彫りも、雰囲気にあっていてステキだな。
これも、パリのヴァンブの蚤の市で買ったもの。
たくさんのガラクタの中でもひときわ異彩を放っていた。
Paris、ヴァンヴの蚤の市で買ったアンティークのはさみ。
蚤の市の小さな金物道具を扱っているお店はなかなか面白く、荷物の邪魔にならないようなものをいつも買ってくる。
くすんだ色をしていても、よくできた道具はデザインがとても優れていて、ごちゃごちゃした道具たちの中でも魅力を発している。
このはさみ(写真左)はアールデコっぽい持ち手の形、長さのバランス、ちょっとした彫りが気に入った。
ところどころ錆が浮いているし、手に持って開くとネジが緩んでカタカタしている。
でも、直したら使えそうだ。
日本に戻ってきて、ハサミを修理してもらった。
ネジをはずしバラしたあと、刃を研いで磨いてから、またきっちりネジを締める。
見違えるようにきれいになって、切れ味もとてもいい。
最近のハサミと違って重さがあるので、あまり力を入れなくてもスパッと切れる。
「シャキーン」という音が気持ちいい。
アンティークは古っぽいままの方がいいという人もいるけれど、ものによる。
汚ければいいというものではない。
道具は使えてこそ価値があると思うのでメンテナンスは必要だ。
ちなみに右の真鍮の道具は柱時計などのゼンマイを巻くためのネジと思われる。
四角いボルトがはまる、大きさの異なるソケットが両端についている。
形がかわいいのでついでに買ったもの。
➤キンモクセイの香水 パルファンサトリのオードパルファン「SONNET(ソネット)」
トップはマンダリンのシトラスと、クラリセージのティーノートから爽やかに始まります。そして甘い桃のようなオスマンサス(キンモクセイ)の香りは、やわらかいフローラルの広がりに、やがて、木の暖かいラストノートへと移ろっていきます。 希少な金木犀の天然香料が香りに深みを与えています
➤アンティーク香水コレクション
https://www.youtube.com/watch?v=CGKIkRooOfk
昨日からのつづき・・・しかし結局キンドルを使うことなく戻ってきてしまった。
帰国後はそれはそれで慌ただしく過ぎて、その存在をしばらく忘れていたのだが、ふと思い出してキンドルを取り出してみる。
あれこれ触っているうちに、無料の本が読めるのを発見。
使い勝手を最初に試してみるのにいいなと思って探しているうちに、前々回に書いた「寺田寅彦随筆集」を見つけたのだ。
先生の本は280冊もあってちょっとづつダウンロードしても読みがいがある。
電車に乗る時など移動中にちょっと読むのにとてもいい。
出がけにはいつも何の本を持っていくか悩むし、結局モードが違って読む気になれないこともあるから、その時の気分で選べるのもいいし。
それに、フォントがかなり大きくなるし画面が明るいから読みやすい。
いつも気に入ったフレーズがあるとページのヘリを折ったり付箋紙を付けるのだが、ハイライトという機能があって、検索もできるからとっても便利だ。
といいことばかりのようだが。
昨日、これを書いているうちに、
「もしかしたらアイフォンとかスマホでも同じようなことができるのだろうか?」
(どっちも持っていないけど)
とアナログな私が気になって調べたところ、一度キンドルを買えばどの端末でも同期して見れ、
なんと私の持っているタブレットでもキンドルをダウンロードできることがわかった。
そうしたらより大きな画面で見れるじゃないですか!
便利って言葉あまり好きじゃないけど、すごく便利・・・。
(でもまだアプリを入れるのに成功していない)
もともと新聞や週刊誌は買わないのだけど、いずれ捨てる運命のものは本当にペーパーレスで十分な気がしてきた。(1973年オイルショックのデマではあるまいし、新聞がなくなってもトイレットペーパーは十分に足りるであろう。)
・・・でもいずれ捨ててしまうものに価値があるのかよく分からなくなってきた。
本当に好きなものは紙の本を買う。
やっぱり、気に入った本は紙の本でとっておきたい。
で、寺田寅彦先生に触発されて、紀伊国屋書店で「徒然草」の教本を買ってきた。
高校生の時はちっとも感動しなかったが、あらためて読むと含蓄があり、この年齢ならでは理解できる面白さ。
徒然草にかかれているのは今も変わらぬ人間模様。
人間って進歩しないんだなあと納得。
これはまた別の機会にするとして話を戻す。
キンドルはページからページへワープできて高次元だけど、紙の本だって十分に3次元的。
どこに何が書いてあるかは本の厚みを探って、パラパラとすればいろんなことを一緒に思い出す。
テキストの赤の書き込みは、映像として記憶に残るし。
どちらかというと寄り道しながら行きつ戻りつするのが楽しい。
それに本からは知識を得るだけでなく、紙の手触りやめくる音、においなど五感で楽しむことができる。(なめることはしないので味覚はないけど)
実用には利便性を求め、娯楽は不便を喜ぶ。
アナログはプリミティブで、プリミティブは最高に貴族趣味だと思うけど!
つまり紙の本がなくなるのが心配と言っても、くだらない本は捨ててしまうし、良書は残るものだ。
これってビブロフィリアとは違うでしょう?
パルファンサトリ・メンズ マザーロード66
アマゾンのキンドルに限らず、もちろん「電子書籍」なるものは以前より知っていたがあまり関心がなかった。
もともと紙が好きで、本の手触りやめくる感触にこだわりがあったので、実体のない媒体で読むことに抵抗があったのだ。
紙を捨てることで大事なものをなくすような気がして。
しかしよく考えたら、多くの情報は新聞や雑誌よりもインターネットという電子媒体で得ているし、このブログもそれを使って書いているわけである。
キンドル(Kindle)を知人にすすめられたとき、あらためて「これは旅行によさそう!」と思った。
キンドルを紹介してくれたGさんは、よくアメリカからペーパーバックを買うのだが、
「キンドルにしてからは送料もかからないし、本自体もとても安いのよ」という。「それに、辞書機能がついているから、単語をちょっとなぞるだけで英英辞典がひけるの」
「和書は電子化されている書籍の種類が少ないし、洋書ほど割安感がないのだけどね・・・」
とはいうものの。
いつもフランスへ長期旅行に行く時には、文庫本を20冊くらい持っていく。
さらさらと読めるような時代小説とかが中心だ。
読み切れないことも多いのだが、帰りは在仏日本人の人においていくととても喜ばれる。
だから今回もそうするつもりだったのだが・・・。
彼女から聞いたのが出発3日前、アマゾンから翌日配達だっていうので
「キンドルならこれ1つでいいじゃん!」
とばかりにタイミングよく買ってしまった。
しかし手荷物トランクの浅いポケットにほうりこみ、成田空港のラウンジで使用説明を1回読んだきり。
今回のフランス滞在の1か月は、一日なんだかんだと寝るまで暇がなく、結局キンドルを使うことなく戻ってきてしまった。
つづく
砂色のピンクとちょっぴり濃い目のアガパンサスブルー。
南仏のカフェ、ディナー開店前。
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ラストはパウダリーなサンダルウッド。ふわふわのイリスを贅沢に使い、 軽やかに導きます。
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6月にキンドル(KINDLE)を買ってから1か月あまり使っていなかったのだが、何気なく手に取ってみているうちに便利さに気が付いた。
このところキンドルが離せない。
そんなある日、キンドルのストアで「寺田寅彦随筆集」を発見した。
寺田先生は明治、大正、昭和にわたる物理学者であると同時に防災研究で社会に貢献した方である。
そもそも中谷宇吉郎随筆集で寺田寅彦先生のことを知ったのだった。
中谷先生は「雪は天から送られた手紙である」という言葉で有名な雪の研究者。
その師の寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉(実際にこの言葉は書き残されていないそうであるが)で有名な自然科学者であり、随筆家である。
夏目漱石と交流があり「坊ちゃん」や「三四郎」の登場人物のモデルにもなっているという。
これらの随筆の中では、本当に「科学的な考え方」というものを、子供にかんで含めるようにやさしく説いている。
難しいことを易しく伝えるのがもっとも大変なことであるし、ユーモアとは真のインテリジェンスである。
ほかの分野との横断的な思考、芸術、文学など、話題が豊かで読み飽きない。
一冊づつは短いけれど280冊もありすべて無料で読める。
もともとはインターネットの青空文庫で出しているものなのでパソコンでも開けるのだが、キンドルなら移動中に読みやすい。
興味深そうなタイトルを、何冊かづつダウンロードしては読む。
その教養と造詣の深さはとても伝えきれないのであるが、
その随筆の中に災害大国の日本の防災について書かれた章が多数あり、今日は防災の日ということもあり青空文庫から一部引用させて頂いた。
「震災日記」は関東大震災に遭遇した寺田先生が、その前後数日を書き留めたものである。
8月24日の加藤首相薨去の報から始まり、9月1日に上野で震災に遭い、震災2日後の9月3日で終わる。
混乱と恐怖の町中を歩き、冷静な目で観察された記録である。
淡々とした語り口が一層リアリティを感じさせる。
・・・八月二十六日 曇、夕方雷雨
九月一日(土曜)
・・・東照宮前の方へ歩いて来ると異様な
「地震国防」など、どこをどう抜粋していいかわからないほど、全文がみっしりと密度が濃い。
80年前の昭和の初めに、今の日本に喫緊の問題を 説いているのである。
本編には単なる警告だけでなく、なぜ同じことが繰り返されるのか、人間の心理と社会のしくみ、防災対策などまで述べられている。
天災と国防
・・・しかしもしや宝永安政タイプの大規模地震が主要の大都市を一なでになぎ倒す日が来たらわれわれの愛する日本の国はどうなるのか。小春の日光はおそらくこれほどうららかに国土蒼生を照らさないであろう。軍縮国防で十に対する六か七かが大問題であったのに、地震国防は事実上ゼロである。そして為政者の間ではだれもこれを問題にする人がない。戦争はしたくなければしなくても済むかもしれないが、地震はよしてくれと言っても待ってはくれない。地震学者だけが口を酸っぱくして説いてみても、救世軍の太鼓ほどの反響もない。そして恐ろしい最後の審判の日はじりじりと近づくのである。・・・
時事雑感 (昭和六年一月、中央公論)
「津波と人間」
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から
同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。・・・
・・・中略・・・「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢竟
それだからこそ、二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼払われたのである。
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